前作『僕を見つけて』以来半年ぶりの新作となる、fhánaのニューシングル『星をあつめて』。劇場版『SHIROBAKO』(2月29日公開)の主題歌として書き下ろされた表題曲“星をあつめて”は、多幸感そのもののような晴れやかなアンサンブル&《星をあつめて/散らばった光を紡ごう/その一瞬できらめく形写して/箱にしまった ほらそれはトワの模様》のフレーズ越しに、「作品を作ること」そのものに宿る奇跡と、そこに至る音楽家としての矜持を高純度で結晶させた名曲だ。
TVアニメ『ナカノヒトゲノム【実況中】』挿入歌“Code "Genius"?”の英語詞セルフカバー、yuxuki waga(G)作曲による“世界を変える夢を見て”といったカップリング曲も含め、fhánaの「今」が多角的に提示された今作。本稿では“星をあつめて”を巡る佐藤純一(Key・Cho)とtowana(Vo)のインタビューから、改めてfhánaの本質論に迫ってみた。
インタビュー=高橋智樹
「アニメ制作会社の話」をアニメ制作会社の人たちが一生懸命に描いてる、っていうメタ的な構図に一番感動してるのかも(towana)
――今回のシングル表題曲“星をあつめて”は劇場版『SHIROBAKO』の主題歌ですけども。このオファーはどういう経緯で?
佐藤 突然ですね。『ウィッチクラフトワークス』(2014年放送/fhánaはオープニングテーマ“divine intervention”を提供)でご一緒した水島(努)監督からのリクエストで。お話をいただいた時点で、最初の予告編もYouTubeで公開されていたし、制作も追い込み段階に入ってたっぽいので。僕たちもびっくりしたし、レーベルのスタッフさんも「おお〜」みたいな驚きの中、「……じゃあ作んなきゃ!」という感じで(笑)、慌ただしく制作に入った感じですね。でも、『SHIROBAKO』はテレビシリーズから僕もtowanaも観てた、っていうのがまずあったので、驚いたし嬉しかったんですよね。
――佐藤さん自身、分野は違えどクリエイターとして物語に共感する部分もあったんですかね?
佐藤 要は『SHIROBAKO』はアニメ制作のクリエイターたちの群像劇なので。ちょうどfhánaも――ツアーのMCとかでも話してるんですけど、クリエイターに向けてというか、「創作って何なんだろう?」みたいなことを最近すごく考えていて。そういうテーマが自分の中にもあったので、ピタッと来て。「物を作ることそのものについての歌にしよう」みたいな感じで作り始めましたね。
towana アニメ作品はたくさんありますけど、その中でも『SHIROBAKO』は本当に上位に来るくらい、私自身も大好きな作品で。お話をいただいたのが信じられなかったし……今もちょっと信じられない(笑)。公開されてから劇場に観に行って、曲が流れて、初めて実感するんじゃないかなって思ってますけど。それくらい嬉しかったです。
――そこまで深く惹かれる理由は何だと思います?
towana アニメ制作会社の話を描いている、アニメ制作会社の人がいるわけじゃないですか。そういうメタ的な構図なんですけど(笑)、やっぱりフィクションだから、「本当はもっと苦労してるかもしれないし、もっと辛いことがあるかもしれないし……」っていろいろあると思うんですけど、それをこの素晴らしい作品にするために一生懸命に描いてる人たちがいるんだなあ――とか、そういうところにもしかしたら一番感動してるのかもしれないです。
――そういうメタフィクション的な構造の作品に、towanaさんも現実として関わっているわけで。
towana 不思議ですよね。だから……私が感動してるその構図に、私自身も組み込まれてるのかもしれないですけど(笑)。とても光栄なことだなあって思います。
普通は目に見えないし、捕まえようとしても逃げていってしまう「きらめき」を形に残す。それが「作品を作る」ことだなって(佐藤)
――“星をあつめて”にも《星をあつめて/散らばった光を紡ごう》というフレーズがありますけども。情熱と表現衝動に突き動かされて、希望のかけらを集めていく姿が、また誰かにとっての希望になっていく――フィクションを作る行為が、現実に作用していくわけですよね。
佐藤 そこで思うのは――情熱っていうのももちろんあるんですけど、“星をあつめて”みたいな、散らばった「かけら」って、見えないけどあるんですよ。普通は目に見えないし、捕まえようとしても「いいもの」って逃げていっちゃうから。それをなんとか捕まえて、形あるものとして残すっていうのが「作品を作る」っていうことだなあって。それって、「自分の情熱が他の人の夢にもなる」っていうより……なんか「役割」というか。普通の人はそのままでは見えないし、触れることもできないけど、アーティストとかクリエイターっていう職業の人たちだったら、そのきらめきみたいなやつを――「これだ!」っていうものを作品として形に残して、誰にでも見える状態にすると、そのきらめきの本質がたくさんの人に伝わって、感動したり、癒されたり、救われたり、いろんなことになるのかなって。それが音楽だったら、作品として形に残すっていうのもあるし、ライブだったら一瞬で表現するっていうのもあるし。そういうことを思ったりしてますね、最近は。
――なるほどね。
佐藤 さっきのtowanaの「メタ的な感動がある」っていう話は、僕もすごくそれに近いことを思っていて。『SHIROBAKO』だけじゃないんですけど――何かすごくいい作品で感動する時って、単純に「その作品がいいから」だけじゃないんですよね。関わってる全員の熱量が高くて、しかもそれがちゃんとお客さんとか世の中に共有されて、みんなで熱く盛り上がってるような――そういうカタマリみたいな感覚って、なかなかないじゃないですか。そういう現象とかコンテンツに自分が出会ったりすると、その存在の奇跡的な感じに感動するんですよね。その尊さそのものを描いてるのが、『SHIROBAKO』っていう作品だよなあ、って思ったりしますね。魂削って物を作るってこういうことだよなあって。いろんな立場の人がいるわけで。絵を描く人もいれば、話を考える人も、制作の人も、音楽の人も、声優の人もいて。それだけいろんな人の気持ちがガッと集まって、その中心にある光みたいな――そういうものを形あるものとして残すっていうのが、僕たちのやらなきゃいけないことなのかなって。
――そういう、魔法としか呼べないような熱が、作品に宿ることって確かにあるし。一生懸命に作れば宿るとは限らないけど、一生懸命にやらないとそこには手が届かないという。
佐藤 そうなんですよね。一生懸命やらないとできないんですよ。偶然すごいものが生まれて、みんながあっと驚くことはあるかもしれないけど、それを「一瞬パッと光って消える」とかじゃなくて、きちんとした形に残すとなったら、やっぱり本気にならなきゃいけないんですよね。