東京出身の4人組ロックバンド、インナージャーニー。シンガーソングライターとして活動していたカモシタサラ(Vo・G)が、「未確認フェスティバル2019」出演にあたり現在のメンバーをサポートメンバーとして招き、同年10月にバンドとしての活動を開始した。2020年、バンドは配信シングルやEPなど精力的なリリースを重ね、YouTubeでカバー動画などをアップ。Kaito(Dr)はバンド以外の活動も行い、4人の音楽は多方面へと広がり始めている。3月24日にリリースされたデジタルシングル“グッバイ来世でまた会おう”は、バンドの始まりであり、カモシタのソングライティングの原点とも言える代表曲。メンバー全員と結成時のことを振り返りながら、同曲の核心とバンドの特性を探っていった。
インタビュー=沖さやこ
ロックンロールも好きだけど、「自分が歌うならもっとやわらかいものが作れるんじゃないか」と思った(カモシタ)
――みなさんは1999~2001年生まれで、同じ高校の軽音楽部に所属していたそうですね。カモシタサラ(Vo・G) でも高校時代はそんなに接点がなくて……なんならあんまり喋ったことがなかったです(笑)。
本多秀(G) サラと僕は同学年で、同じバンドのメンバーで。渋くてパワフルな歌を歌う女の子がボーカルの、ロックンロール色が強いバンドでした。サラはギターだったんですよね。
カモシタ わたし自身、ロックンロールもその子のボーカルもすごく好きだったので、彼女の声に合った曲を作っていたんですけど、高2の終わりにそのバンドが動かなくなってからひとりでコツコツ曲作りをしていて、「自分が歌うならもっとやわらかいものが作れるんじゃないか」と思うようになって、そのバンドとは別の方向性の曲を作るようになりました。
――それがシンガーソングライターとしての活動につながって、高校卒業かつ大学進学をする年にソロ音源を作るべく楽器隊の3人に声を掛けたということですね。
カモシタ 「ソロ用に作った曲がバンドサウンドになったらかっこいいだろうな」と思って、高校で楽器がうまかった人に、LINEで片っ端から声を掛けていきました(笑)。
とものしん(B) あまり接点のなかった高校の後輩から急に、「ベースを弾いてください」というLINEがデモと一緒に届いて(笑)。サラが曲を作ってることも知らなかったので、そこで初めて「いい曲を書く子だったんだ」と知ってOKしましたね。
Kaito(Dr) 僕はサラちゃんと本多くんの1個下の学年で、特定のバンドに参加せずにサポート活動をしていて。ふたりが組んでいた別のバンドでも、サポートでちょっとドラムを叩きました。そろそろバンドをやりたいな……と思っていたところにサラちゃんからLINEがきて、ソロ活動を知ったんです。これまでのつながりもあるし、「ぜひ」と返しました。
本多 声を掛けてもらう前、SoundCloudにアップされていた“エンドロール”を聴いて、「すっげえいい曲書くじゃん!」とめちゃくちゃ心を打たれたんですよね。だから声を掛けてもらってすごくうれしかったです。
カモシタ 3人に参加してもらったおかげですごくいいものが録れて。その曲をいろんな人に聴いてもらいたくて、3人に何も言わずに「未確認フェスティバル2019」に応募しました(笑)。
――ははは。「曲作りがしたい」という動機でソロを始めたカモシタさんだからこそ、いい音源になったことはとても大きな喜びだったんですね。
カモシタ そうですね。最初はバンドをやりたいというよりは、「自分の曲をバンドサウンドにしたい!」という気持ちが強かったんです。
Kaito でも「未確認フェスティバル」のステージに4人で立つという過程で、全員なんとなく「このメンバーでバンドをやっていきたいな」と思っているような雰囲気は出てきていて。ファイナル後にいろんなライブハウスやサーキットイベントにお声掛けいただくようになって、その反響が後押しになって、2019年10月に「カモシタサラバンド」から「インナージャーニー」という名前をつけて正式にバンドとして活動していくことになりました。
自分が歌う曲を作るうえで、死生観はどうしても反映されてしまう(カモシタ)
――カモシタさんは“グッバイ来世でまた会おう”について、「日々はとても尊く、今そばにいる人との限られた時間を大切に過ごしてほしいという願いを込めました」とセルフライナーノーツに書いています。そのテーマで曲を書くに至ったのには、どんな背景があるのでしょう?
カモシタ 「人は死んだらどこに行くのか」というのをひたすら考えている時期に作った曲で。この前ボイスメモを遡っていたら、この曲の原型を録音した2018年の3月のデータが出てきたんですよ。高校2年生の終わりに、家までの帰り道で風がめっちゃ吹いてるなかで歌ったものが入ってました。
――ご自分で歌うための曲を作り始めていた時期に生まれた曲ということですね。不躾な質問になりますが、「死」について考えなければいけない出来事があったのでしょうか。
カモシタ 中学3年生の時に祖母が亡くなって。……身近にいた人が亡くなる経験が初めてだったんです。当たり前に存在していた人がある日急にぽっかりいなくなってしまったショックと、淡々と前に進んでいく日々の板挟みになってしまって。いなくなって日々が欠けている感覚もあるんだけど、いなくなってしまうとは思いたくなかったし、いつまでもそばにいてほしいし、そばにいるものだと思いたくて――すみません、ごちゃごちゃなことを言ってしまっているんですけど。
――そんなことないですよ。大切な人の死に直面すると、混乱しますよね。
カモシタ 生きることを考えるたびに死について考えちゃって、宗教や哲学をいろいろと調べてみたんです。死に対しての考え方は多種多様だけれど、みんな自分が納得できることを信じることで、死に向き合って生きていて。それで、「わたしも自分なりに納得いく答えを探そう」と思ったんです。忘れないでいたら、今までとは違うかたちで再会できるんじゃないか……という想いで書いたのが“グッバイ来世でまた会おう”です。わたしの作る曲は「死」につながっている曲が多いんです。
――そうですね。“エンドロール”然り、“会いにいけ!”然り、カモシタさんのお書きになる歌詞は「終わり」に自覚的で、時間は有限であると訴えている印象があるんです。
カモシタ うんうん。“会いにいけ!”は「好きな人に会いに行こう」と受け取ってもらうことが多いんですけど、自分としては「死んでしまった人に会いに行く」という意味も込めていて。自分が歌う曲を作るうえで、死生観はどうしても反映されてしまうんです。
とものしん サラの作る曲はよく「寄り添う歌詞」と形容されるんですけど、僕はそう思ったことは一度もなくて。なんなら極端なことを言っていると思ってるんです。でも、それがしっかりとひとつの物語になっているので、感情表現としてきれいだなと思いますね。