《伝えたい だけど語れない/ずっとこの気持ちの正体を/僕は探してる/だけどよそ見ばっかしている/そっちの方が幸せだから》
そんな歌詞で始まる、Official髭男dismのニューアルバム『Editorial』。
狂ったように転調を重ねる最新シングル“Cry Baby”やシンセの洪水まみれのスタジアムロック“HELLO”をはじめとする冒険的なシングル曲群と、メンバーそれぞれの「個」の心模様をリアルに思うがままに描いた新曲群が並ぶ、まるで冒頭の歌詞そのまんまのような「自由」で「リアル」なアルバムだ。
超ポップな曲がズラッと並び、エンターテインメント性で圧倒する前作『Traveler』とはベクトルがかなり違う。ただし、それは変化ではなく進化であるということが、聴いている間に次第にわかってくる。
今という時代のポップの正解を導き出し、それが大きく受け入れられ、そして高く評価され、今もまさにそれを求められているヒゲダンは、その「正解」の先にある「自由」と「リアル」を求めて新たな冒険に出た。それがこのアルバムだ。メンバー4人の「自由」で「リアル」な歩みが、高い完成度で普遍的な物語へと、深いポップへとEditされた奇跡のアルバム『Editorial』をひもときながら、その歩みのすべてを4人にじっくりと語ってもらった。
インタビュー=山崎洋一郎 撮影=北島明(SPUTNIK)
「自分もそう思ったことがあるかもしれない」って思ってもらえる要素が、かなり多いんじゃないかな(楢﨑)
――予測はしてたけど、「よくぞここまでのものを作った!」って、驚きました。藤原聡(Vo・Pf) ありがとうございます。
――アルバムの手応えや感想、思いをひとりずつ語ってもらえますか?
楢﨑誠(B・Sax) 曲作りって、その時のリアルを写真みたいに切り取ることだと思うんですけど、今回はそれがより濃くできた感じはします。今までのバンド人生の中でも、ライブが思うようにできなくなったりして、自分が何を思っているのかを深掘りする時間が多かった気がしてて。いつも音楽には正直に向き合っているつもりだったけれども、その時間が多くなったことで、リアルが浮き彫りになったんじゃないかな。自分が人生単位で思ったことというよりは、今そう思ってるんだっていう感覚というか。それがいろんなところにちりばめられてますね。だから、聴いて「自分もそう思ったことがあるかもしれない」って思ってもらえる要素が、かなり多いんじゃないかなと思います。
松浦匡希(Dr) 僕も今回、初めて歌詞を共作で書かせてもらって。ならちゃんも大輔もさとっちゃんも書いてて。たぶん、こういうことやりたいとか、こういう音使ってみたいというのは、これまでもその時々で違ってきたし、新しいものをどんどん入れようみたいな思いはあったんですけど、今回は、その個の色みたいなものがさらに出てて。曲から人間が窺えるというか、感情がうまく昇華されてるアルバムだなって。
――小笹くん、どうですか?
小笹大輔(G) なんか、自分との対話みたいな。今までもそういうものはあったと思うんですけど、歌詞とかメッセージをこんなに表立って打ち出したことってなかったかなと思っていて。音作りに関しても、今までは、作りたいものが頭の中にあって、それに向かってブラッシュアップしていってたんですけれども。今回は、何をやったら自分を満足させられるかわからないような、すごくだだっ広いところから作り始めた感じがしていて。エゴイスティックな、自分を満足させたいみたいなところが色濃く出てるアルバムだと思います。だから……みんなはこれ聴いてどう思うんだろう? たとえば、すごく明るいものを作ったら、『Traveler』と比較できるアルバムになったかもしれなかったですけど、でも、今回は比較のしようがない、まったく別のものができたと思ってるので。重要なターニングポイントというか。なんて言うのかな、エンターテインメントとしての音楽から、本物の何かになっていきたい。そういう決意じゃないですけど。結果的に、なんですけどね。振り返ってみたら、そういうアルバムになってるっていう。
どういうバンドになっていくかは僕たちに決めさせてほしいっていうのが、アティテュードとして表れているアルバムになった(藤原)
――ところが、表現であると同時にエンターテインメント、俺の言葉で言うとポップス、そのふたつが両立しているから、このアルバムはすごいと思う。藤原 ポップに最終的に帰着できたとしたなら、やっぱり僕たちがポップな音楽が好きだっていうのが根底にあったっていうことではあると思うんですけど。だから、わかりやすさや普遍性を意識する必要のない制作っていうのが、すごくよかったなと。このアルバムが持つ意味合いは、このバンドを長く続けていくための答えだったかなあって。2019年に『Traveler』を出して、ヒゲダンのことを知ってくれる人が増えて、『紅白歌合戦』に出られたり、日本武道館のステージに立てたり、自分たちを取り巻く環境が大きく変わっていって。そこで、世間が自分たちをどう思っているかを目の当たりにしたっていうか。ライブにどんどん家族連れが増えてきて。これは地元の知人に言われたんだけど、子どもに邪気なく聴かせられるっていうか。バンドが好きだって言われても、ヒゲダンならお母さん許しちゃうわ、みたいな。そういう、ある種の害のないポップアイコンとしての受け取られ方。そう思ってらっしゃる方がいるっていうことは、別に悪くはないんですけど。何が問題かというと、世間のヒゲダンのイメージが、僕たちの表現にロックをかけている部分があるんじゃないかと気がついたというか。だから、いい意味でヒットチャートとかお茶の間を意識しないで作ることが、すごく大事だったのかなと。でも、リスナーの人生に寄り添えるバンドでありたいっていうのはあるから、それができたっていう答えのひとつに『Traveler』があったのかもしれないんですけどね。
――そうだね。
藤原 それはすごく嬉しいんですよ。嬉しいけど、背中を押せる曲とか、あまり怒ってない曲とか、どんどん音楽が筋書きめいたものの上に乗せられてるような感覚になってきたんですよね。「ここでオチがなきゃダメだ」、「最終的にはハッピーエンドじゃなきゃダメだ」、「刺さる言葉が何かなきゃダメだ」、「パンチラインがなきゃダメだ」って。それが今やりたいことの中にあるんだったら、結果オーライなんですけど。今回はそこからはみ出したものにすごく興味を惹かれたので、正直そこは悩みました。でも、そのいいかダメかを判断するのって、世間じゃなくて僕たちでなきゃダメだし、そうじゃないとファンのみんなに失礼じゃないかっていうふうに思ったんですよね。バンドが健全であるためにはこのマインドなんじゃないかなって、僕は思ってます。こういうバンドであってほしいとか、ずっとこうであってほしいって言われるのは、すごく嬉しい部分もあるけど、どういうバンドになっていくかは僕たちに決めさせてほしいっていうのが、アティテュードとして表れているアルバムになったんじゃないかな。