ヤングスキニーが“東京”で鳴らす、自由を手にした若者のリアル――かやゆー。単独インタビューでひもとく

ヤングスキニーが“東京”で鳴らす、自由を手にした若者のリアル――かやゆー。単独インタビューでひもとく

ずっとつらいことから逃げてきたんですよね。でも、ギターだけはなんだかんだずっと続いてるんです

――かやゆー。さん、今年の頭に金髪から黒髪に戻していましたが、また金髪になさったんですか?

「“東京”をリリースするにあたってまた金髪にしました。このほうが東京に染まった感が出るかなと思って(笑)」

――(笑)。ロックバラード“東京”は新しい環境で自分を見失い、葛藤する心情が綴られている曲ですものね。

「僕の生まれ育った場所は山梨県の本当に田舎で、友達と遊ぶ場所もなかったんです。だから毎日ひたすら学校生活を送っていたんですよね。でも大学進学を機に都会に出てきて、いろんな人と関わるようになって急激に環境が変わって――大学1年生くらいからぼんやり考えていたことを“東京”に書いたんです」

――ということでまず、かやゆー。さんの上京前までのお話を聞かせていただきたいと思います。幼稚園の年長頃から10年間サッカーを続け、高校でボート部に所属。学園祭では弾き語りを披露し手品も得意……という経歴から想像するに、ものすごく器用な方だろうなと。

「やってみたことはなんでも人並みちょいくらいにはできちゃうタイプではあります(笑)。でも何をやっても続かない性格なんです。親に『このテストでいい点数を取ったら欲しいものを買ってあげる』と言われても、頑張るくらいなら要らないかなと思ってしまうし、サッカーも親に『辞めたい』と言い出せず惰性で続けたり……ずっとつらいことや面倒なことから逃げてきたんですよね。でも、ギターだけはなんだかんだずっと続いてるんです」

――ギターとの出会いは、ご両親からもらった小学校6年生の時のお誕生日プレゼントだったそうですね。

「小さい頃から祖父の家で、父親が学生時代に使っていたギターの弦を触って音を出して遊んでたんですよね。たぶんその流れでギターを買ってもらったんだと思います。小学生にギターは難しくて、部屋の押し入れに入れっぱなしにしていたんですけど、中学生の頃に何を思ったのか手に取って、中3でリア友に向けたSNSに弾き語り動画を載せるようになりました。音楽の授業は毎回楽しみだったし、太鼓隊や合唱団に入ったりもしていたので、振り返ってみると音楽は好きだったのかなと思います」

――かやゆー。さんの生活に、当たり前のように存在していたのが音楽だった。その道が開けていったのが高校時代でしょうか?

「そうですね。目立ちたがり屋だったから人前に立つのは好きで、高2の学園祭の出し物に参加することにしました。バンドをやってみたい気持ちもあったんですけど、メンバー集めもスケジュール合わせも大変だし、弾き語りなら練習も家でひとりでできるからラクだし、みんなバンドで出るのに僕だけ弾き語りなのもかっけーじゃんと思って(笑)。同じくらいの時期にオリジナル曲をSNSにアップしたのも、『ギター触りながら歌ってたら曲ができたから載せてみようかな』というのが始まりなんですよね。あんまり考えずに行動してきたんです」

――ヤングスキニーを組んだきっかけも、bokula.のえい(G・Vo)さんが、かやゆー。さんの弾き語りオリジナル曲をバンドアレンジにしてくれたからだそうですが。

「SNSを通じてbokula.のかじ(G)くんと仲よくなったので、僕がbokula.の弾き語りカバー動画をYouTubeに載せたんですよね。そしたらえいくんが僕の曲をバンドアレンジしてくれたんです。自分の曲が聴いたことのない音で返ってきて、弾き語りとはまったく違う聴こえ方をしていて……その時の興奮はすごかったです。『僕の曲ってバンドサウンドでもいけるんだ』と気づいて、SNSでバンドメンバーを集めたんですよね」

『親元を離れて自由が増えたがゆえに変わってしまった』ということを歌いたかった

――それを踏まえて“東京”をひもといていきたいのですが、かやゆー。さんが《この街東京で僕を見失ってしまった》と感じたのは、地元に住んでいた頃と比べて自分が変わっていることに気づいたからでしょうか?

「自分もそうなんですけど、友達の変化を感じることも多かったんです。(SNSで)酔い潰れた友達のストーリーを見たり、お金のために夜の仕事をしている友達がいたり。高校卒業からたった1年くらいなのに『高校時代からは想像できない姿だな』と思うことが多くて。もちろん変わるのは当然のことだし、嫌なわけではないけど、『あの頃のままではいられないんだな。これが大人になるということなんだろうな』と思ったんですよね」

――それに寂しさを感じた?

「うーん……どうなんだろう。自分が見たことのない友達の姿を見て『急激に変わっちゃったな』と思ったから、やっぱり寂しかったのかな。あと僕自身もバイトを始めてからいろんな大人と関わる機会が増えて、知らなかったことを知るということが多かったんです。それもこれも、親元を離れたからだと思うんですよね。“東京”というタイトルではあるんですけど、東京という街がどうというよりは、『親元を離れて自由が増えたがゆえに変わってしまった』ということを歌いたかったんです」

――なるほど。たしかに若いうちは、抑制がないと目の前の楽しみに忠実になってしまうことはありますよね。たとえば学生さんなら、朝一で授業が入っているのに娯楽に興じてオールしてしまったり。

「高校時代は親がちゃんと育ててくれていたから、自分でも『こうやって生活していこう』と考えられていたとも思うんです。親元を離れてもそれが続けられると思っていたけど、ひとり暮らしは門限もないし、怒られることもないから、はっちゃけちゃったり急激に変わっていったりして――そのなかで『あれ? 自分何やってんだろう?』と思うことも増えていって。それで《僕を見失ってしまった》という歌詞を書いたんです。

――そんな自分に嫌悪感も?

「嫌だなあと思いつつも、また同じことを繰り返してるなー……って。それは大人になりたいけど子どものままでもいたい、複雑な気持ちがあるからだと思うんです。でもそんな自分をどうにかしたいから、『このままではなく、何か行動を起こしていかなきゃ』という思いで《それでも想像して明日を変えていけたら》と希望が見える歌詞で締めくくったんですよね。『ああ、また同じこと繰り返しちゃったな』と後悔しちゃう人はいると思うので、ヤングスキニーの“東京”がそういう人にも刺さればいいなって」

次のページ“東京”は4人全員が『どうやったらもっとよくなるか?』をぎりぎりまで考えられた
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