a flood of circleは去年“ゴールド・ディガーズ”のプロデュースをホリエアツシに依頼して、今年“キャンドルソング”のプロデュースをゴッチに依頼した。ふたりの先輩に全幅の信頼を寄せているのはもちろん、制作中もこの座談会中もふたりにまっすぐに当たっていく姿が弟のようで、AFOCの青臭さってこういうとこだよなと思ったのだった。そして、この時代にその青さをナマのままかっこいいロックに落とし込めるバンドはAFOCしかいないなとも思ったのだった。
バンドであることは簡単だけど、ロックバンドであることはやっぱり覚悟とコツが要る。そんな話を味ごのみとハッピーターンを例に出しながら熱く語り合ってくれた。
インタビュー=山崎洋一郎 撮影=島津明
──まず、a flood of circleをホリエくんとゴッチがプロデュースするっていうのは、どういう感じで始まったの?(後藤とホリエは)ひとつ上の世代だからこそ真似たり媚びたりしちゃいけないし、尊敬しているが故に変に近づけないと思ってたいたけど、今、ここまで来たから話せることもあった(佐々木)
佐々木亮介 尊敬していて、本気でぶつかれる人と何かやってみたいっていう気持ちがあったんです。それで、最初はホリエさんに話をして。それから去年の7月、俺と後藤さんがROTH BART BARONの日比谷野音公演にゲストボーカルで呼ばれて再会したのをきっかけに後藤さんにもお願いしてっていう、たまたますごいことが続いちゃったんです。昔は、ふたりのことは無邪気に好きだけど、ひとつ上の世代だからこそ真似たり媚びたりしちゃいけないし、尊敬しているが故に変に近づけないと思ってたんですよ。だけど今、ここまで来たから話せることもあって、お願いした感じでしたね。
──ホリエくんとは、どういうふうに作っていったの?
佐々木 ふたりで下北の普通のスタジオに入って。アンプとかも通さずに、生のエレキギターのペラペラした音で、一緒に曲を作るっていう。それで、ホリエさんってめちゃくちゃロックバンドの人だなと思ったっていうか。ストレイテナーはいつも向き合って「せーの」で作るって言っていて。それをやったから、バンドでセッションしたときも空気がよかったです。一緒に作っていくのは久々だったので、「バンド、いいね!」って改めて思いました。
ホリエ 共通言語みたいなものを出しながら作っていったんですけど、全部に対してまっすぐに打ち返してくれて。「それいいっすね、やりましょう」って。それが、一緒にバンドをやっているみたいな感覚で楽しかったですね。だからせっかく関わるからにはプロデューサーとアーティストみたいな立ち位置じゃなく、僕も自分の曲だと思いたいって気持ちでした。
──ゴッチとはどう進めていったの?
佐々木 そもそもは「NO NUKES 2015」で初めてお会いして挨拶したんですけど、そのときは俺、もうちょっと頑張んなきゃって思ってたんで、「好きっす」って感じは伝えてなくて。そのあとROTHの野音で一緒になって、うちのディレクターが後藤さんと繋がっていたのもあって、「もう一曲、アルバムまでにチャレンジしたいな、後藤さんにお願いできないかな?」って。自分はロックミュージックはリベラルなものだと思っていて、ゴッチさんとは根っこで感じていることが似ているのかなって思えて嬉しかったので、お願いしたっていう。
──なるほどね。それで、この楽曲のいきさつは?
佐々木 ホリエさんのときは、1曲ガッと作ったんですけど。後藤さんのときは、昔のデモも引っ張り出して、10曲ぐらいデモを送ったんです。それを軸に作りました。
後藤正文 2曲ぐらい「いいね」って言って。そのうちの1曲に「鳥肌立ったよ」って連絡した気がします。
佐々木 ふたりとも褒め上手です(笑)
──それで、“ゴールド・ディガーズ”と“キャンドルソング”ができて。曲調もタイトルも、ふたりとやった意味がはっきり出ている感じがするね。
佐々木 そうですね。もうキャンドルしか残っていないとか、掘るしかないとか、「これしかない」と思って作っていて……制作中にふたりが励ましてくれたんで、ありがとうございますっていう感じなんですけど(笑)。どん詰まりと思ってるけどまだやることあるな、ふたりともそれを越えてきているんだなって思いました。
──逆に、ふたりは佐々木くんをどういうふうに見ていたんですか?
後藤 ガレージロックバンドのイメージはあったけど、元々接点はほとんどなかったんですよ。でも、(ROTHの)三船(雅也)くんにソロ(アルバム『RAINBOW PIZZA』の共同プロデュース)を頼んだり、(同作を)シカゴに行って録ったりしているのを見て、俺が思ってたヤツと違うなって。それでROTHのイベントで会って、ロックバンドをやっているけど、ヒップホップにも、最前線のポップミュージックにも興味がある人だと思って。情熱もアイデアもたくさんあって、自分の興味が体から溢れ出ちゃってるから、アウトプットがうまく整理できてないみたいな。それでもバンドを転がさなきゃっていうのは、共感できるところでもあるし。
ホリエ ゴッチも言っていたみたいに、音楽のいろんな要素に興味を持っていて。断片断片で僕とハモるところもありましたね。
──俺も接したときに、持っている情報量とか興味の幅がすごいと思ってさ。以前は、ロックバンドってロック好きがやるものだったじゃない?
後藤 確かにね。
ホリエ 亮介は、好きなものをそのまんまやる世代じゃないっていうかね。まあ、世代は関係ないかもしれないけど。僕も「AIR JAM」に出てたようなバンドの先輩たちに、「めっちゃ好きでライブとか行ってました」って言ったら、「ウソでしょ!?」って言われたから(笑)
──ゴッチとホリエくんは、わりとそのさきがけなんだよ。
後藤 ホリエくんとかが近くにいてくれたのは、救いだったけどね。いろんな話ができたし、いろんな音楽を教えてもらったし。たとえば、デス・キャブ・フォー・キューティーとかを教えてくれたのはホリエくんで。それを教えてくれてなかったら、俺はクリス・ウォラと一緒に仕事はしてないから、そのきっかけをくれたり。あと俺に(忌野)清志郎みたいなことをやれって言ったのは、ホリエくんだからね。
佐々木 へぇー。そうなんだ。
後藤 そうだよ。僕のプロデューサー。
佐々木 ライフプロデューサーですね。
ホリエ (笑)
後藤 ライフプロデューサーですよ。僕のロックのキャリアのうえでは、ホリエくんのひと言はでかい。