作品の作詞作曲を一手に引き受けるのが、ギターボーカルを務めるおざきれんだ。
聴いた途端に自分の歌として響く素直な歌詞を綴り、何度も脳内リフレインする人懐っこいメロディを紡ぎ出す。瑞々しい感性には、子どもの愛らしさも大人の凛々しさも同時に宿り、来月で22歳を迎える彼自身がビビットに反映されているといってもいいだろう。
そんな等身大の感覚を持ちながら、おざき自身はとても聡明だ。過去の自分を客観的に捉える視点を持ちながら、着実に今を踏みしめ、可能性に溢れた未来にはワクワクと胸をときめかせる。その言葉には淀みがなく、スカッとしていて嘘がない。しかも、話を聞けば聞くほど、彼はまだ蕾であることすら感じさせる。現時点でこれだけのクリエイティブを生み出せるのに、まだまだ先があるなんて。バンド初の全国流通盤である1st EP『誰よりも幸せになれ、報われろアタシ』がリリースされる今、cherieの核を担っているおざきれんにぜひ溺れてほしい。
インタビュー=坂井彩花
──影響受けたアーティストをあげるとしたら、どなたでしょうか?これしかないし、モテたいし、売れたいし、好きなことをしてたいし。何かかっこいいと思われるようなことをしたかったんですよね
ギターを始めた頃にカバーをしていたクリープハイプとマカロニえんぴつには、楽曲面でめっちゃ影響を受けていますね。マカロニえんぴつが奥田民生さんを好きだと知り「どんな感じなんだろう」という興味から奥田民生さんを聴いていた時期もあります。あとは、80年代アイドルの曲もすごく好きで、メロディや歌詞はそういうところからも影響を受けているかもしれないです。
──では、「音楽が好きだ」と感じるようになったアーティストで言うと?
僕は覚えていないんですが、お父さんが言うにはDef Techが好きだったみたいで。曲が流れると踊っていたらしいです(笑)。あと、ONE OK ROCKは小学生の頃よく聴いていました。ライブも観に行きましたね。
──クリープハイプやマカロニえんぴつと、ONE OK ROCKでは音楽性がかなり違いますよね。
違いますね。もともとはロックな曲を聴いていたんですけど、それまでギターで弾き語れる曲をずっと続けていたので、ロックも好きだけど自分ができることに近い楽曲も聴くことが増えていったんだと思います。中3の冬か高1の春に、めっちゃ安いEpiphoneのアコギを貯めていたお年玉で買って。お姉ちゃんがベースをやっていた影響で、自分も親にベースを買ってもらっていたので、さすがに「ギターも買って」とは言えないなって。
──なぜベースからギターへ転身を?
「コピバンでライブしようぜ」となったときに、ベースをやっていたのに「ベースは嫌だ! (立ち位置が)横じゃん、真ん中じゃないじゃん」「俺はベースじゃねえな」と思ったんです(笑)。歌うのも好きだったし、楽器としてもかっこいいから、ギターボーカルになりました。
──欲望が素直でいいですね(笑)。そのコピーバンドはいつから組んでいたんですか?
小6のときでした。家の倉庫にギターがあった友達に「ギターやって」って頼んで、家がめっちゃデカい裕福な友達に「ドラム買って」ってお願いして、自分はベースを弾いて。音源を流しながらボーカルなしでONE OK ROCKをコピーしていました。今観るとガッタガタなんですけど(笑)、本当に楽しくて。途中で新しいベースを入れて、僕がギターボーカルになりました。そのバンドは、たまに会ったときに演奏する形でずっと続いてたんですけど、メンバーが大学へ進学したりして、ひとりになっちゃって。ギターを買って弾き語りを始めたことで、弾き語りができる感じのバンドを組みたいと思うようになったのと、中2のときに武道館へMY FIRST STORYのライブを観に行ったことがきっかけで「バンドやろう!」と思った熱がずっと続いてたこともあって、高校を卒業したタイミングで始めたのがcherieです。
──バンドを組むときのモチベーションって「自己表現がしたい」「俺にはこれしかない」「モテたい」とかいろいろあると思うんですけど、cherieを組んだときはどうでした?「好きなことは、これしかない」と思ってバンドを始めたんですけど、よくよく考えてみたら最終手段ではなくてずっと好きなことだった
全部ですね(笑)。これしかないし、モテたいし、売れたいし、好きなことをしてたいし。何かかっこいいと思われるようなことをしたかったんですよね。学生の頃の自分は部活にも入ってなかったし、好きなことが本当になかったから、部活を頑張っている同級生に対して「何してんの、お前ら」と思うくらい、ひんまがってたんです。だから、cherieを組んだときは「みんなみたいに輝けるのかな」ってワクワクしてました。
──「何してんの」と思いながらも、頑張っている人たちはキラキラして見えていたんですね。
見えてました。みんながキラキラして見えるからこそ、自分が陰っているように感じて嫌だったんだと思います。自分がまだ本当に好きなことを見つけられてなかったのに、当時は「部活が大変」って言ってる人たちに対して「じゃあ、辞めろよ」「もっと好きなことしろよ」って思ってました。今となっては頑張るって難しいんだなって思うし、バンドをやってて大変なことはあるけど、好きだから続けられているってわかるんですけど。
──「好きなことがなかった」と何度もお話しされていますが、そんな状況で「バンドが好きだ」と気づいたわけですよね。他のこととバンドは何が違ったんですか?
好きなものって、(生きていると)ある程度できたりするじゃないですか。でも僕は、みんなが好きなものが全然好きじゃなくて。サッカークラブは3日くらいで辞めてるし、泳げないからプールの時間は休んでいたし、ゲームも好きだったけど熱中するほどでもないし。ずっと「好きなものないな」と思っていたんですけど、ふと「歌うことはずっと好きだったんだよな」って気づいたんですよね。
──振り返ってみたときに、日常の中で切り離せなくていちばん身近にあったものが音楽だったんですね。
そうですね。僕的にバンドをやることは最終手段だと思っていたんです。「好きなことは、これしかない」と思ってバンドを始めたんですけど、よくよく考えてみたら最終手段ではなくてずっと好きなことだった。もともとやるべきことだったんだなと思います。