去年9月の日比谷野外大音楽堂でのライブを最後に解散した3ピースバンド・plentyのフロントマンだった江沼郁弥のワンマンライブが、9月8日に恵比寿LIQUIDROOMにて行われた。今年7月に江沼のインスタグラムのアカウントにて今回のライブ開催が告知された時には「彼の音楽がまた聴ける……!」と心が震えたし、同じように彼の帰還を心待ちにしていた人は数知れず、今回の公演は当然のようにソールドアウトで迎えられた。
会場に入るとそこには満員のオーディエンスがそれぞれの想いを持ち合い、開演時間が迫ると共に期待は高まっていった。そしてステージに目を向けると、キーボード/シンセサイザー、スタンドマイクとギターとパソコン、ドラムセットが横一列に並んでいた。どんな音楽なのかはもちろん構成すら知らされていない状態だったのでこの瞬間に初めて編成を知ることとなったのだが、その時に改めて「バンド」ではなく「ソロ」であることを実感したのだった。その光景に少しの寂しさを感じたものの、それを上回る「これから此処でどんな音が鳴り、どんな言葉が放たれるのか?」という想いの方が強かった。
遂に開演時間を迎えると、江沼郁弥と、バンド・木のメンバーであり今回のサポートメンバー・naive (Dr)とKanaru Oyaizu (Key)の3人が登場し、盛大な拍手に包まれた江沼がマイクスタンドの前に出て何度かお辞儀をした。そのぎこちないお辞儀の様子から1年前から変わらぬ不器用な様子が伺えて、安堵と共に嬉しさが湧いてきた。
そして拍手がすっと止み、音を無くした会場に最初に鳴ったのはパイプオルガンの厳かな音だった。そこに重なるエフェクトのかかった江沼の歌声を一音も聴き逃すまいと、じっと佇むオーディエンスを丸ごと受け入れるかのように響くサウンドはエレクトロサウンドを基調としたもので、ジャズテイスト、シューゲイザー、メロウでアーバンなものからポップ、アンビエントなものまで実に多彩で多様。ムーディな“として”では、江沼がギターを手放し、マニピュレーターとして機材を触る場面もあった。ギターボーカルとしてギターを絶えず持ち、ギターと共にマイクの前に立つ彼の姿しか見たことのなかったこちらとしては驚きもしたが、鳴り渡る音や歌われる言葉の数々から広がる音景はあの「江沼郁弥」から生まれた世界に他ならなかった。「忘れる」、「嫌い」、「居なくなる」といった類の負の力が強い言葉を躊躇わずに使っては人の心の内側の、そのもっと奥にある無防備な部分を突いてくる言語感覚、寂寥感の中に宿る愛情と優しさ、そして“neoromantic”のようにエフェクトこそかかっても分かるキーの高い儚さを携えた歌声は、変わることなくそこに在った。
美しいピアノの調べから始まる“black swan theory”では、壮美なメロディから滲む空虚感や刹那、背筋をそっと撫でるような不気味さと優しさが共存しており、その情景に呼吸すら忘れるほどに飲み込まれてしまった。そんな曲たちを放つ江沼はラストの楽曲を鳴らし終わるまで楽しそうだったが、一方でどこか透明な存在のように感じた。それは、一度はバンドから離れてしまったけれどそれでも「歌いたい」という一心でステージに戻ってきた亡霊のような雰囲気で、そこに哀しさはなく、とても自由だった。
この日MCは一度もないままライブは終わったし、曲の終わりを察すると共に起こるはずの拍手すら躊躇われるくらいに静まり返った空間だったが、そこに居心地の悪さや圧迫感は一切なかった。ただひたすら音を浴び、浸り、あの場にいた人それぞれが各々の消化の仕方で自分の体内に音を取り込んでいっているような不思議な共鳴がそこにはあった。共感を求めるでも協調を求めるでもなく、ステージから隙なく放たれる音楽をただただ受け止めるだけのその時間が、どうしようもなく愛おしく、これ以上なく自分を満たしてくれたアクトだった。
そして終演後には物販にて限定CD/アナログ盤がサプライズ的に発売され、さらにSNSの公式アカウントにて11月7日(水)にアルバムのリリース、来年1月に行われる東名阪ライブも併せて発表された。江沼が今後どんな人生の道程を歩んでいくかは想像できないが、そこに音楽が寄り添っていることは間違いないのだろうし、そのために彼はこの日、この場所に帰ってきたはずだ。「おかえりなさい」という気持ちと共に「初めまして」という新鮮で温かい感情を抱いた、新たなるスタートの夜だった。(峯岸利恵)