凛として時雨 @ SHIBUYA-AX

凛として時雨 @ SHIBUYA-AX
凛として時雨 @ SHIBUYA-AX
凛として時雨 @ SHIBUYA-AX
凛として時雨 @ SHIBUYA-AX
5月13日にリリースされたばかりのニュー・アルバム『just A moment』のリリース・ツアー、『last A moment』の初日、SHIBUYA-AX。
初日なので、セットリストとか、どの曲をやったとか、具体的なことは書けませんが、当然ニュー・アルバムの曲もいっぱいやってくれました。で。これ初日? ファイナルじゃないの? と言いたくなるような、とにかく濃密な約1時間半でした。

で。その約1時間半のうち、1時間15分が経ったくらいの段階で、自分がずうっと同じことを考えながら、このライブを観ていることに気付いた。
「これ、どこをどう変えれば、もうちょっとこう、普通になるんだろう?」ということを、だ。
例えば、あの、二人揃って細くてカン高い、TKと345のボーカル。あれが、あんなに細くも高くもなくて、歌詞が聴き取れるような歌い方だったら、「ああ、なるほど」と思えるんだろうか、とか。
あるいは、曲構成。あの、イントロとAメロとBメロとサビ、どこがどれなのか皆目見当のつかない曲展開じゃなくて、Aメロはこのコード進行、だからBメロはこんなコード進行……というふうに、ロックやポップスの定型に沿った形になっていれば、もうちょっと安心して聴けるのかな、とか。
もしくは、リズム。「速い!」とか「遅い!」とか「タテ!」とか「ヨコ!」とか「裏打ち!」みたいなのが、もっとはっきりした、そんなプレイをしてくれるバンドなら、「ああ、ヘヴィ・ロック30%にエモ70%ね」みたいに、納得しながら観ていられるんだろうか、とか。

要はですね。何なのかさっぱりわからないのだ。エモ、メロディック・パンク、ラウド、ヘヴィ・ロック、ハードコア、ミクスチャー、その他もろもろの「今存在する、バンド編成による激しい音」のフォーマットの、どれでもないのだ。どれからも逸脱しているのだ。「どれでもないけどすべてでもある」みたいな話じゃない。明らかに、どれでもない。
って、別に今初めてこのバンドを観たわけでも聴いたわけでもないが、観るたびに、聴くたびに、いつも同じことを思ってしまう。つまり、「なんなんだ? これ」と。

要は、ものすごいオリジナリティであるってことなんだけど、このオリジナリティに辿り着くまでの足し算や掛け算や方程式などなどがさっぱり見えないということだ、凛として時雨の場合。
唯一、ピエール中野はX JAPAN大好きであることを公言しているが(今日も、「X JAPANのラストライブで実際に使われたYOSHIKIモデルのスティックをもらった」と自慢し、客にXジャンプを強要していた)、そう言う彼のドラム・スタイルがYOSHIKI型かというと、特にそんなことはない。
TKと345も然り。というか、自分たちのオリジナルなスタイルを作りたくて、色々がんばって、ここに辿り着いた、という感じが、まったくしない。ただ単に、自然に、音を出したらこうだった、という感じ。
ものすごい熱量の音なのに、どっかさめている。カオスなのに、きれいでもある。なんだかさっぱり理解不能なのに、ある意味ものすごくよくわかる。それこそ、考えるまでもないくらい、感じるだけですべてをつかめるくらい、わかったりもする。なんなんだろう、ほんとに。
もうひとつ言うと、そんなバンドでありながら、それぞれがプレイヤーとしてもやたら優れている、というのも、「なんなんだろう?」と思う、いつも。

その不思議さを誰よりも理解し、体現しているのが、フロアを埋め尽くしたファンだと思った。基本的には、大暴れでモッシュしまくっているんだけど、人の頭の上によじ登ってダイブする奴は、何故か少なかったりする。で、すんげえ暴れているのに、曲が終わってTKと345が黙ってチューニングを始めると、誰一人として歓声をとばしたりせずに、シーンと黙ったままで、曲が始まるのを待っていたりする。
相当珍しい光景だった。でも、なんだか、とても納得した。っていうのもいつもだな。たぶん、この先もずっとこのバンドのことは、わからないと思う。で、わからないままで、ワクワクしていたいとも思う。(兵庫慎司)
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