アタリ・ティーンエイジ・ライオット @ リキッドルーム恵比寿

今年初め、約10年ぶりとなる復活ライブを5月にロンドンで行うことを発表したアタリ・ティーンエイジ・ライオット(以下ATR)。2000年に活動休止状態に入り(正式な解散は発表されなかった)、翌年MCのカール・クラックが亡くなったことから再始動は絶望視されていたが、ブルックリンのラッパーであるCXキッドトロニック(CX KiDTRONiK)が自身のアルバム制作にアレック・エンパイアを招いたことがきっかけとなり、新たなバンド編成で世界ツアーに踏み切ることになった。以前のようには声が出なくなってしまったというオリジナル・メンバーのハニン・エライアスに代わり、今回は1997年にバンドに加入したニック・エンドウが女性ボーカルを取る。

今夜の単独公演は、明日8月7日、東京会場のみへの出演が決まっているサマーソニック2010のエクストラとして発表されたもの。初めにゲストのREBEL FAMILIAが登場する。ソロとしても世界を股にかけて活動しているGOTH-TRADの硬質な高速のトラックに乗せられる秋本“HEAVY”武士(ex.Dry&Heavy)のベースは、地を這うように重たい。ただそこにかすかに踊るようなニュアンスが与えられているせいか、ダビーな音処理や巧みなリズム・アレンジメントと相俟って、サウンド自体はまぎれもない轟音であるにもかかわらず、時にレゲエのような軽やかさで聴こえてくる。終演後、実際には35分ほどの短いセットだったということに驚きを覚えるくらい、凝縮されたパフォーマンスだった。

20時を回って場内を流れていたフライング・ロータスの『コズモグランマ』がフェイドアウトして客電が落ち、SEが始まると、大歓声に沸くフロアではドリンクが飛び交い、ATRのロゴが描かれた大きな旗が振られ、「エンドウ! エンドウ!」のコールが起こる。2分ほど経ってから3人が現れ、向かって左側のCXキッドトロニックがステージ前方のアンプによじ登り、中央のアレック・エンパイアが両手で客席を煽って、すぐに3月にインターネット上で発表された新曲“Activate”に入る。

セット序盤では、へヴィメタルのデジタル・ハードコアからの解釈とも言える“Into The Death”、ニック・エンドウがステージ中央に歩み出てライオット・ガール・ムーブメントさながらの激しい歌唱を見せた“Sick To Death”、レイヴ・ミュージックが自己崩壊を起こしていくような“Raverbashing”、ニルヴァーナの“スメルズ・ライク・ティーン・スピリット”をサンプリングした“Atari Teenage Riot”と、この15年ほどのあいだ世界で最もホットなシーンの1つだったドイツのミニマル・テクノ~マイクロハウスの真逆を行くかのように、多様なジャンルを渉猟する一種のマキシマリズムを展開してみせる。

「トーキョー、10年ぶりだよ! また日本で演奏したいとずっと思っていたんだ」「政府は今も人殺しを続けている。そこら中で戦争が起こっているんだ! 俺たちはいつだって闘争のために音楽を作ってきた」とTシャツを脱ぎ捨てて上半身裸になったアレックが話し、後半の山場となった“Get Up While You Can”、“Too Dead For Me”、“Speed”で本編を締めくくる。

アンコールでは、アレックの「アクショーーーーーン!!!!!」の掛け声で、おそらく会場のほぼ全員が待ち詫びていたであろう“Revolution Action”に入る。途中でアレックはフロアに飛び込み、オーディエンスに支えられながら2番の歌詞を歌った。続くラストは“Start The Riot!”。曲の最後にはノイズ・インプロヴィゼーションも披露された。

最初のうちはそれこそ本当に暴動みたいなことが起こってしまうんじゃないかと心配になるほどリキッドルームの熱気は高まっていたけれど、ステージに大勢の観客が上がってしまった6月の「Fusion
Festival」(http://www.youtube.com/watch?v=jHLQPkpz3yY)でも1人のケガ人も出なかったという事実からも分かるように、ATRのライブにはどこか「みんなでライブを成立させよう」という民主的な雰囲気が漂っている。もちろん日頃の自制のタガが外れるような感覚はあるのだが、その外れ方は暴力性の解放よりはもっと確固とした目的意識に基づいたもののように感じられる。

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとアタリ・ティーンエイジ・ライオットという世界でも最も扇動的な2組のバンドがいずれも世紀をまたがずに休止状態に入ったことや、97年の『OKコンピューター』では半数ほどの収録曲で社会的な「敵」の姿を想定していたレディオヘッドが2001年の『キッドA』でその戦場をごくパーソナルな空間に移行させたことなどに表れているように、政治性の稀薄化はゼロ年代の音楽の特徴の1つと言えるかもしれない。

政治的な言及をしないことによって多くの新しい価値が生まれたことは言うまでもないにしても、そこには音楽が知らぬ間に「人生のための芸術」から「芸術のための芸術」に変貌し、作品が偶像崇拝という不毛なサイクルの対象に据えられてしまう危険性が常に含まれている。「政治の季節」から10年の空白を経た今夜、ATRが「アクション」や「ライオット」という言葉を通じて訴えていたのは、そういった時代の流れの根底に潜む、我々自身の無力感との闘争だったのではないだろうか。(高久聡明)
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