Cocco @ ZEPP TOKYO

Cocco @ ZEPP TOKYO - pic by yoshika horitapic by yoshika horita
夏のROCK IN JAPAN FES.のステージで突如発表され、ファンはきっとみんな「え、ええっ!? やるの?」とびっくりした、『エメラルド』のリリース・ツアー、2度目の東京公演。って、詳しくない方も読んでいるかもしれないので、一応、なぜびっくりしたのか、説明しておきますね。長くなりますがご了承ください。ご存知の方はとばしてください。

まず、このツアーは3年ぶりのものである。この3年の間、彼女は何をしていたのかというと、摂食障害という大きな問題を抱えることになってしまい……って、理由、それだけではないだろうが、とにかく、ミュージシャンを休業して、ロンドンへ移住した。で、ロンドンで大学に通い、病院に入った。病気が治るのか、そしてまたミュージシャンとして復帰できるのか、もしかしたらできないのか、みたいなことすら、その時は考えていなかった。
で、色々あって、結局病気は治っていないままだけど、日本に戻ってきて、歌うことにした。「どうせ治らないんだったら、治らない病になってるよりは、まあ歌ったほうがプラスかなっていう、感じ、だったのかやあ」だそうです。ただ、戻ってきたものの、ものが食べられないから体力がないので、短い尺のアコースティック・ライブしかやれない。それも、1ステージ歌い終えると寝てしまう、というか倒れてしまうような状態で、少しずつ続けてきた。5月のJAPAN JAM出演時には、復帰後初めて、アコースティックではなくバンドと一緒に(ギターが大村達身とプレクトラムのアッキー、ドラムは椎野恭一、ベースとキーボードはなし、という変則的な編成でした)、立って歌うライブを、6曲ほどやることができた。
はい、ここまで、bridgeの2010年8月号(Cocco表紙の号です)のインタビューで語られています。では、その続き。

次に、同じくバンド・セット(今度はベース高桑圭とキーボード堀江博久も参加)で臨んだ8月6日のROCK IN JAPAN FES.のステージにて。冒頭に書いたように、Cocco、ステージでいきなり「秋にツアーをやります」と宣言。ツアーって。無理じゃん! ワンマンの尺、やれないじゃん! というわけで、おそらく急遽切られたと思われるこのツアーに、スタッフは「Cocco 60分Special Live」という副題を付けたのだと思います。なんとか60分はやろう、そしてそれを前もってお客さんに知らせることによって、納得してもらおう、という。
ただ、ツアーが始まってみると、「どうも60分じゃないらしい」という話を、ネットなどで目にするようになった。ツアー初日を観た渋谷は、ブログで「完全復活」とか書いていたし(これ → http://ro69.jp/blog/shibuya/42466)、名古屋で観た知人も「2時間近くやった」と言っていた。
おお。遂に、普通に、元通りに、ライブできるようになったのか。よかったよかった。
というストーリーで、このライブレポを書こうと思いながら、会場に向かったのですが。

全然違いました。元通りじゃない。もっとすごくなってないか? これ。いや。なってる。なってるよ。こんなん観たことないよ。いや、過去のCoccoのライブにおいて観たことがないっていうんじゃなくて、自分がこれまでの人生で観てきたライブ、全部ひっくるめても観たことがない、という話です。すげえ。何これ。うわあ。うわああ。
というライブでした。『エメラルド』の曲も歴代のさまざまな曲たちも歌う2時間弱。最初は「ん? あれ? いや、でも、えーと……」っていう感じで、違和感を持ちつつ観ていたが、3曲目あたりで「やっぱそうだ。これ、元通りじゃないわ」と、断定するに至りました。
声は、もっと上のキーから下のキーまですごいボリュームで出ていた時期があったかもしれない。ほかの健康なシンガーだったら、もっと朗々ときれいに歌えたかもしれない。が、全っ然そういう問題じゃない。というか、そういう細かいことは、どうでもいい。
っていうくらい圧倒的だった。
なんていうんでしょう。今のCoccoのステージ上のあの感じ、すっごい言葉で表しづらいな。えー、だから、たとえば……そうですね、あの、「ステージにバンドを従えて歌っている人がいる」とか、「シンガーが歌っている」とか、そういう感じではないのだ。なんというか、そのまま、「表現がステージにいる」のだ。表現という生き物がステージ上に存在していて、声を発してメロディを歌ったり、リズムにのって動いたり、舞ったり、時に踊ったりしている。そういう感じだった。
どうでしょう。わけがわからないでしょう、そんなことを言われても。でも、観た方の何人かは、「ああ、まあそういう感じだったよねえ」と同意してくれるのではないか、とも思います。とにかく、もう、ものすげえエネルギーとオーラ。まじに「歌うって、こういうものだったんだ」「こういうふうに歌という表現をできる人が世の中にはいるんだ」とまで思った。大げさに見えるだろうか。見えるだろうな。でも、ほんとにそう思ったんだからしょうがない。
後半、ノリのいい曲の時に、フロアが手拍子をしたりして楽しい雰囲気になったあたりで、ようやくちょっと我に返りましたが、それまでは私、のることも一緒に歌を口ずさむこともできず、ステージを凝視した状態で固まってました。フロアも結構そうだったと思う。1曲終わるごとの拍手がやたら長いライブだったけど、あれ、みんな一緒に歌ったりのったりするどころじゃなくて、ほかに「すばらしいと思います!」という気持ちをCoccoに伝えるすべがないので「異常に長く拍手する」という方法をとったんだな、と思いました。自分も延々と拍手しながら。

で。後半あたり、観ながら、そう感じている自分に疑問もわきはじめた。ほんとにCocco、前はここまですごくなかったのか? なかったように感じる。でも、前とは全然違うことをやっているようにも思えない。同じベクトルだけど、すごくなっている感じ。なんだろう。
と考えて、出た結論は、前はまだ、CDもライブも、一般的な「ロックのライブってこういうもの」とか「ソロ・シンガーってこういう音楽性」という一般常識みたいなものに、無意識に合わせているところがあったんじゃないか、と。でも、セルフ・プロデュースで『エメラルド』を作れたことによって、そのタガがはずれた、ということなのではないか。前はやりたくないことをやっていた、というわけではない。単に、アレンジとか、あんまり興味がなかったし、どうやっていいかもわからないから、任せていたのだ。でも、そうじゃなくなった。そしたら、CDだけじゃなく、ライブもこんなにすごいことになってしまった――という話なのではないか、と解釈しました、私。というか、それくらいしか理屈がつけられません。
しかし、短いアコースティック・ライブでも、終わるたびに横になっていた人が、こんなに超濃密な、しかも気をぬけるところがほとんどない(あったとしたら、後半でメンバー紹介をじゃんけんで負けたメンバーがやる、というコーナーで、ギターのアッキーが負けて、そのMCがぐだぐだでステージの上も下も大笑い、という時くらいでした)ライブを2時間近くやって、はたして、終演後、どうなっているんだろう。大丈夫なんだろうか。
と、心配になりました。たとえ健康な人であっても、ひとりの人間が一定の時間に発することのできる「気」や「オーラ」の物量をはるかに超えている、そういうライブだ、これ。ほら、あるじゃないですか、映画とか小説で。テレポーテーションするとすんごい体力を使うとか。念力で超重いものを持ち上げられるけど、それをやると1日寝込むくらい消耗するとか。ああいうのと同じだと思った。全体にこのライブレポ、さっきからたとえがむちゃくちゃだが、ほかに書きようがないので勘弁してください。

MCで、Cocco、この「60分」というのは、心配症のスタッフの気持ちを大いに表している、いつも心配かけてすみません、みたいなことを言っていた。やはり。あと、最後に、具体的に次はいつツアーをやるという予定はまだないんだけど、「またね」って言いたいから「またね」って言います、みたいなことも言っていた。はい。「またね」ですね。とりあえずさしあたっては、12月31日のCOUNTDOWN JAPANのステージ、本当に楽しみにしています。(兵庫慎司)
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