磯部正文&ヒダカトオル @ SHIBUYA O-WEST

磯部正文&ヒダカトオル @ SHIBUYA O-WEST
磯部正文&ヒダカトオル @ SHIBUYA O-WEST
磯部正文&ヒダカトオル @ SHIBUYA O-WEST - pic by tetsuya yamakawapic by tetsuya yamakawa
ソロ・デビューにあたって作った曲たちを早くライブで歌いたいし聴いてもらいたい、でも磯部正文バンドはそれぞれ本業のバンドを持っているので、普通のバンドと違ってパッと集まって動く、というわけにはいかない、ならばギター1本弾き語りで回ってしまおう、どうせならソロ・アルバムのプロデューサーも一緒に──おそらくそんな動機で、昨年10月に行われた、磯部正文とヒダカトオルふたりのツアー、『OKASHINA FUTARI』のパート2。前回は計6本、今回は東京・山梨・福島の3本。の予定だったが、後日大分と盛岡も追加になりました。特にそういう声明はありませんでしたが、盛岡は震災後にやることにしたのでは、と思います。
で、このSHIBUYA O-WEST、そのツアーの2本目なので、ネタバレ防止っていうことで、セットリスト書けません。構成とか演出とかは、えーと、どの程度まで書いていいんだろう。「ここまでだったらいいかな」ってこと、箇条書きにしてみます。

・基本、3部構成。1部はヒダカひとり、2部はイッソンひとり、3部はふたり一緒。で、プラス、アンコールもふたり一緒。トータルでほぼ3時間。というのを事前にきいていて、「弾き語りで3時間……それは、どんなに歌がよくても、もたないのでは? 途中でお客さんダレるのでは?」とちょっと心配したんだけど、失礼しました、完全な杞憂でした。お客さんも、自分も、すごい集中力で観続け聴き続けた3時間でした。アンコールが終わったあとも、まだ手拍子起きてたし。

・後攻のイッソンはずっと弾き語り、歌とギターと時々ハープ、というステージ。ヒダカの方はバラエティに富んでいて……これは詳しく書かないほうがいいだろうな、えーと、弾き語りじゃない曲もありました。あと、「リクエストコーナー!」って、公式サイトでリクエストを募った曲(なのか? あれ)をやったり、「ゲストコーナー!」って、TBSラジオ『Kakiiin』のヒダカのコーナーの企画で、高橋 瞳にヒダカが曲を書いてストリーミング配信する、という縁で、高橋 瞳が登場してその曲“ジレンマ”を歌ったりもしました。

・選曲。まずヒダカ、ビークルの代表曲たちも、昔ビークルでカバーしていた曲も、今回初めてカバーするんじゃないかって曲も、某アーティストのアルバムにフィーチャリング・ボーカルで呼ばれた時にカバーした曲もあり。要は、いろいろあり。
イッソンは、HUSKING BEEの曲もあり、CORNERの曲もあり、尊敬するあの人のカバーもあり(1月25日に新宿ロフトでやってたのとは違う曲でした)、そしてソロ磯部正文の曲もありでした。つまり、イッソンもいろいろあり。
で、第3部=ふたりのステージは、カバーもそれぞれのオリジナルも、やはりいろいろあり、でした。

・ヒダカ、何か小ボケを口にするたびに、「今ので笑ったのは35歳以上ですね」とか「今のは完全に40歳以上ですね」とかいちいち付け加える。たとえば「次はあのアンセムを……アンセムっていってもジャパメタのバンドじゃないですよ? 今ので笑った人、35歳以上ですね」というふうに。笑いながらも「いちいち言わなくても」とちょっと思った、ヒダカと同い歳の私でした。


で。こういうふうに、普段バンドでやっている人がアコースティックでやっているのを聴いた場合って、「シンプルな音だけに、この人の歌の強さが改めて浮き彫りになっていた」みたいなことを、それこそRGに歌われそうなくらい、みなさんよく書きがちですよね。なので、ちょっと今困っています。ふたりとも、もう本当にそうだったからです。つまり、本当に強く、本当に自分だけのスタイルで、本当にどこの誰にも似ていない、そんなすばらしい歌だったからです。
前にも何度も観てるし、あと「声バカでけえ」「メロディの抑揚と符割、ほんと独特」「発声がクラシックとかオペラみたいな領域に入るくらいしっかりしてる」という点において、イッソンがそうなのは知っていたが、ヒダカもほんとにそうでした。あの高いんだか低いんだかわからない、「ハスキー」と「野太さ」と「ハイトーン」が入り混じったような不思議な声。80年代洋楽ヒットチャートのエッセンス満載なんだけど、ところどころで「自分にしかない何か」がいやおうなく混じってくるメロディ。特にヒダカの場合、人の曲を歌うと、声の魅力がよくわかる。そういえば、前にRYUKYUDISKOとかSUGIURUMNとかにゲスト・ボーカルで参加してるのを聴いた時も、同じことを感じたわ、俺。と、観ながら思い出したりもしました。

「自分にしか歌えない歌」とか、「自分にしか書けない曲」とかって、本来、目指すものなのではないのかもしれない。というか、本当は、無意識に、自然にやれば、そうなるのがあたりまえなのかもしれない。たとえば、ヒダカと(イッソンと)同じ音楽を聴いて、同じように影響を受けてきた人は、ほかにもいるかもしれない。でも、イッソンと(ヒダカと)同じ血縁で生まれて、同じ場所で生まれて、同じものを食って、同じ環境で育って、同じ学校で勉強をして、同じものを観たり聴いたり読んだりしながら現在に至る、っていう人はいない。というか、そんな人はヒダカ(イッソン)ひとりしかいない。だったら、自分にしか歌えない歌になるし、自分にしか書けない曲になるでしょう。さらに具体的にいうと、イッソンのあの顔・口と、顎・胸などの骨格と、声帯がなければ、イッソンと同じ歌にはならないでしょ。ヒダカも然りです。わりと昔から「自分はボーカリストとしてもソングライターとしても大したもんじゃない」「人からの影響を編集して作ってるだけ」みたいなことを言いたがる人だけど、結果として、自分にしかできないものになってしまっている、というのは明らかだ。

書いてるうちになんだかわからなくなってきましたが、何かそういうような、「オリジナリティとは何か」「個性とは何か」「自分のスタイルとは何か」みたいなことを、ずっと考えながら聴いていました。要は、すばらしかった、ってことです。(兵庫慎司)
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