amazarashi @ 渋谷WWW

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青森県むつ市在住の秋田ひろむ、豊川真奈美によるバンド、ということ以外は一切謎につつまれているamazarashi。これまでに『0.6』、『爆弾の作り方』、『ワンルーム叙情詩』、そして今年3月にリリースされた『アノミー』と4つの作品を残しながらも、メールインタビューのコンタクトを除いてメディアへの露出はほとんどなかった彼らが、ついに今夜、初のライブを行った。会場は渋谷WWW。チケットは瞬く間にソールド・アウトしている。結論から言ってしまうと、約1時間強という短いセットながらも、これが初のライブとは到底思えない圧倒的なスケールが、amazarashiが描き出す光と闇のコントラストに完璧に結実したすさまじいライブであった。

彼らが登場したのは定刻19:00を10分ほどまわった頃だった。ふっと場内が暗転し、「僕らは順応しない、僕らは反省しない、僕らは戦争したい、約束はできるだけしない――」流麗ながらもあどけなさを残す秋田ひろむの声が響き渡る。ステージには半透明のスクリーンが貼られている。これまでamazarashiがリリースした作品のジャケットやPVをコラージュした映像が投射され、ハットを被った秋田ひろむ(Vo/G)、豊川真奈美(key)を含む5人のメンバーのシルエットが薄っすらと浮かび上がっていく。が、スクリーンの向こう側で演奏している姿はわかるが、彼らの表情までははっきりとはわからない。期待と不安と高揚感が分厚く入り混じり、オーディエンスは身動き一つせず、初めて迷い込んだ未知の世界を細部まで凝視するように観入っている。

朗読と叫びの境界線を揺らぐ“ポエジー”をオープナーに続いたのは“夏を待っていました”。清涼感のあるピアノとギター・アルペジオが絡み合うイントロで初夏の風を吹かせると、フロアは、はっと我に返り、ここ渋谷で初ライブが行われたことを歓声と拍手で盛大に祝福する。その後もスクリーンは取り払われることなく曲のPVやリンクした映像が映し出され、やはり彼らの姿は薄っすらとしか視認できない。しかし、オーディエンスはそれよりも、視覚は移りゆく映像を、聴覚はアンサンブルと歌声を、そして脳内は螺旋を描きながら次々と紡ぎだされる、圧倒的で鮮烈な言葉の数々と向き合うことになる。彼らの音楽を真正面から受け止めるにはすごく集中力が必要なのだ。なのだけど、それと同時にライブが進んでいくにつれて、その集中度と緊張感が心地良く体に馴染んでいくことを実感する。冷徹な表情から一変してカタルシスとサウンドを暴発させた“ムカデ”、真っ白な鳥が下から上へ、右から左へ羽ばたいていく映像の中で秋田が朗読した“ポエトリー1「飛べない鳥」”。短編映画を連続で観ているような感覚にも似ているが、ステージ上からは冷徹な感情、温かい感情、そして歌声からは、はっきりと秋田の息づかいが感じられる。

秋田の声は楽曲や展開によって、ある時は言葉を散弾させるラッパーのように、ある時は青年が歌う童謡のように、またある時は感情のままにシャウトするロック・シンガーのように様々に変化していくが、一曲の中に日記を綴るような歌詞の詰め込み方といい、一小節の中から字余り的に溢れる言葉といい、歌には70年代のフォークからの意匠が感じられる。amazarashiの存在を世に知らしめた“光、再考”と“つじつま合わせに生まれた僕等”、そして社会規範が崩壊することによる無規範状態を意味する“アノミー”。彼から紡がれる冷たく沈んだ物語、時に荒々しい物語。演奏に関しても、ただフォークを今風のリズミカルな音楽に落とし込むわけでもなく、重さとか難解さのアンサンブルに傾くわけでもない。秋田の声に寄り添うようなベースライン、歪むことのない音色で結び目が見えるように絡み合う鍵盤とギター、あくまでタイトを主軸にリズム・パターンやアクセントの位置を曲展開とともに自在に変えていくドラムス。アンサンブルは必要以上に主張しないが、かといって単なるバック・バンドに徹しているわけでもなく、しっかりと音単位でも作りこまれている。ライブということもあって、CD音源に比べるとやはりサウンドの音圧は大きくなっていたものの、その中でこそ秋田の声は屹立していた。そのバランスは絶妙で、決して秋田の声と詩世界のみでこのバンドが成り立っているわけではないのだ。

さくらから過去の記憶にそっと手を伸ばし感傷を呼び起こす“さくら”では大きな桜の木が、歌の終盤の詩で「桜模様の便箋」へと繋がっていく画家を描いた“無題”では絵の額縁がそれぞれスクリーンに映し出され、頭の中で映像と、音と、言葉がゆっくり融解しシンクロしていく。オーディエンスがその魔法が解けるのは、たとえば、曲間に拍手が起きる瞬間だけで、あとは視覚と聴覚の双方から流れ込むイメージの泉に耽溺するように五感を研ぎ澄ませている。今夜3回目のポエトリーリーディング“ポエトリー3「昨日以外の全てについて」”では、前2回で語られた「あの子」が傷つき悩みながらも、最後は生きることに結実していく。そして、そこからラストまでの2曲“この街で生きている”、“カルマ”は、「昨日以外の全てについて」が示唆するように、生きることについて歌われていった。秋田はただネガティヴなことを世界にぶちまけるのではなく、そのネガティヴのとなり、あるいは背中あわせにポジティヴが潜んでいることを知っている。都会の夕焼けからスクランブル交差点の生き急ぐ人々へ、電車の車窓に差し込む夕日から路地裏の時間の止まった人々へ。“この街で生きている”で秋田は、すべての人へ平等に降り注ぐ夕焼けを希望の光に見立て「希望も苦悩も抱えてこれからも生きていく」と歌っていった。そしてラストを飾る“カルマ”。スクリーンには、彼らの“クリスマス”のPVをコラージュさせ、歌詞とリンクした「あの娘を救う」をキーワードに、少女を襲う武装したてるてる坊主と、それを守るてるてる坊主の戦いが繰り広げられるアニメーションが流れ、バンドのエモーションが天高く渦巻いていく圧巻のフィナーレだった。

amazarashiのライブを観ていると、夢とも現実とも異なる独特の時の流れと想像力が喚起され、秋田の紡ぐ言葉が聴き手に潜むそれぞれの物語の中にすっと入りこみ、自己経験との照らし合わせが始まる。曲中はその物語に浸ったり、想像することで頭がいっぱいになってしまう。きっと、今日のライブを観た人の数だけ心に留めたものは異なるし、帰路につきながらめぐらせる想いも異なるだろう。それはどんなライブを観た時だってあることだけど、今夜のライブの観た後では、自分以外の物語や人生についても、いつもより少しだけ身近に感じられた。ポエトリーリーディング3曲を含む計14曲、約1時間10分。MCもラストの“カルマ”の前「今日はありがとうございました。次の曲が最後です」という秋田のひと言のみ。アンコールはなかった。映画や物語にアンコールがないのと同じように。次回のライブは9月の追加公演、恵比寿リキッドルームとなる。(古川純基)

<セットリスト>
1.ポエジー
2.夏を待っていました
3.ムカデ
4.ポエトリー1「飛べない鳥」
5.光、再考
6.つじつま合わせに生まれた僕等
7.アノミー
8.ポエトリー2「生きている」
9.さくら
10.無題
11.奇跡
12.ポエトリー3「昨日以外の全てについて」
13.この街で生きている
14.カルマ
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