鬼束ちひろ@国際フォーラム

鬼束ちひろ@国際フォーラム
鬼束ちひろ@国際フォーラム - pics by 柿本ケンサクpics by 柿本ケンサク
鬼束ちひろの約10年ぶりとなる全国ツアー「HOTEL MURDERESS OF ARIZONA ACOUSTIC SHOW」の最終日となる本日。会場には大きな期待と、彼女のフラジャイルなパーソナリティをよく知るが故の、少しばかりの心配を表情に浮かべたファンが集っていた。その中には恐らく、新参のファンも少なからずいたはず。ニコニコ生放送でのレギュラー番組を初めとして、今の彼女の活動が大きな話題を集めているのは間違いない。もちろん、その多くが彼女の音楽以外の部分に向けられた注目であることへの不安(彼女の存在が歪んだ伝わり方をしてしまうのではないか、と)がないわけではなかった。ただ、彼女の最新作『剣と楓』に収められた相変わらず異常なクオリティを保った音楽を聴くと、これならどんな形であれ世間の目さえ向いていれば、いくらでも人を巻き込んでいけるだろうな、と思えた。だから、席に着くまでの少しの時間にちらほら目にした、それこそ10年前のツアーにはほぼ確実にいなかったであろう小・中学生くらいの客の存在が、なんだか嬉しく感じたのだった。

開演は18時7分。暗転した舞台の上、薄い幕の向こうに跪いた鬼束ちひろがゆっくりと立ち上がり、歌い出す。オープニングに選ばれたのは、彼女が活動を再開してから最初に作られたアルバム『LAS VEGAS』の1曲目、“Sweet Rosemary”だ。ここ数年彼女の作品のプロデュースを行っている坂本昌之と、彼が弾くピアノ、そして演奏者に音を返すアンプの前に飾られた枯れ果てた造花だけが置かれたステージで、鬼束ちひろが緑色のドレスを翻しながら優しく歌い上げる。「アコースティック・ショー」と銘打たれた今夜のコンセプトが一発で理解できる幕開けだった。2曲目の“青い鳥”に入ると、曲調の違いもあり、一気に声量が増す。その迫力に腰を抜かしそうになっていると、畳み掛けるように歌われる3曲目“everyhome”ではそこからさらに声が伸びる。エンジン全開となった彼女のあまりにも凄すぎる歌唱に、始まってほんの10数分でもう全身に鳥肌が立ってしまった。とにかく比肩するものが見当たらない歌。そもそも鬼束ちひろの音楽は、過去のどんな音楽に影響を受け、どの要素を抽出して出来上がったかが(例え彼女自身が影響受けた対象を語る場合でさえ)極めて見えづらいものだと思う。また、これだけの規模の音楽家でありながら、未だに鬼束ちひろを正しくフォローできたニュー・カマーは現れていない。つまり、デビューから11年、アルバム6枚を発表した今なお完全なオリジナル。孤高の花。それが鬼束ちひろなのである。では、そんな鬼束ちひろの音楽が、詞・曲・歌唱が(演奏よりもこの3つが占めるウェイトが大きいと思う)、フルの状態で稼動したときに何が起こるのか。「鬼束ちひろ」を飛び越えて、「鬼束ちひろを内包する世界」が聴き手の頭の中に現出するのである。すなわち、彼女の感情の動きだけでなく、彼女にこの世界がどう見えているか、どんな世界をどう生きているかが丸々流れ込んでくるのだ。少なくとも僕にとって鬼束ちひろの音楽は、今日のライヴは、そんな体験だった。やっている音楽の種類も性別も国籍も異なるけれど、音楽に宿す情報量の一点において、ポップ・ミュージックの世界ではちょっとエミネムくらいしか浮かばない、この次元にいるのは。

鬼束ちひろ@国際フォーラム
鬼束ちひろ@国際フォーラム
鬼束ちひろの音楽は完全なオリジナル、と書いたが、ソングライティングを抜きにした、いちシンガーとしての側面だけを切り取っても彼女は一流である。そのことはこれまで発表されたいくつかのカヴァー曲により知っていたつもりだが、今日披露された“Time After Time”(シンディ・ローパーの原曲をタック・アンド・パティがカヴァーしたヴァージョン)と“The Rose”(ベット・ミドラー)の2つのカヴァーによって改めて認識させられた。「全く自分のものにしていた」というほどは原曲のイメージを改変せず、「原曲そのまま」というにはあまりに鬼束ちひろ。「他人が書いた名曲を、名曲のまま鬼束ちひろが鬼束ちひろらしく歌う」という、カヴァーをする上で当たり前のようでいて実は非常に難しいことを成し遂げていたのだ、両曲とも。

鬼束ちひろ@国際フォーラム
ピアノのイントロが始まって数秒で客席から一斉に拍手が巻き起こったのは、やはりというか、“月光”だった。彼女の存在を最初に広く世間に知らしめた曲ということもあり、両手ではとても数えきれないほどのヒット曲を持つ彼女のソングリストの中でも、際立った代表曲であることは誰もが認めるところだろう。だが今日の“月光”は、そういう「代表曲」だからどうのとか、何枚売れたからどうのとか、そういう付帯情報がまるで意味を成さないほどただ「歌」としての凄みを宿していた。彼女は≪I can’t hang out this world こんな思いじゃ どこにも居場所なんてない≫という、字面だけを追うと諦念の塊のような言葉を、極力湿った感情を孕ませないように、しかし息を切らすほどに激しく絶唱する。聴き手の胸に突き刺すというより、その歌の引力によってこちらから突き刺さりにいってしまうような感覚に陥る。この歌がこうしてまるで色褪せないで存在し続けている事実を目の当たりにすると、ここで歌われていることが正も負も超越した真理であるように思えてくる。それはある意味とても悲しいことだが、それ以上にどうしようもできないことで、そんなどうしようもできないことが理不尽に降り注ぐこの世界だからこそ、そんな世界であることを改めて思い知らされたこんな今だからこそ、鬼束ちひろの歌がもっともっと広がっていってほしい。この曲が終わったとき、粟立つ肌を押さえながらそんなことを考えていた。

アーティストでありながらお願いして作ってもらったという自分用のバックパス(普通はスタッフ等関係者しか下げないものなので)を始まる前に、終わった後にはピック(最後の“Beautiful Fighter”は今日唯一のギター弾き語りで披露された)をそれぞれファンに手渡すなど、サービス満点だった2曲のアンコールを入れて、全14曲。約90分。最初にセットリストをもらったときは正直、約10年ぶりのツアーなのだからもう5、6曲くらいやってくれればいいのに、なんて思っていたのだけど、とんでもなかった。脳だけに留まらず全内臓が感動に満たされたような充足感で、閉演のアナウンスが流れてからもしばし身動きがとれなくなくなるくらいだった。満足という言葉では気分としてとても追いつかないほどの満足感。だから、今日は本当に文句なしなのだけど、できるだけ早く次のライヴが見たい。できれば、何度も。期待してます。(長瀬昇)

<セットリスト>
1.Sweet Rosemary
2.青い鳥
3.everyhome
4.琥珀の雪
5.Time After Time(Tuck & Petti)
6.The Rose(Bette Midler)
7.月光
8.蛍
9.嵐ヶ丘
10.EVER AFTER
11.私とワルツを
12.ストーリーテラー

アンコール
1.NEW AGE STRANGER
2.Beautiful Fighter
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

最新ブログ

フォローする