14歳でギターを始めて以来、数えきれないほどのバンドを渡り歩いてきたという現在19歳のジョーダン・ゲイトスミス(Vo/G)、ギターのイアン・ニゴール、ベースのフランス・キャンプ、そして先日までプリンスの息子なのではないかという噂が流れていたドラムのブレント・メイズ(http://ro69.jp/news/detail/64054)がステージに上がる。なお、キーボードのマックス・ペトレックは今回の公演には不参加。
ライヴは“America”で幕を開け、続けて『America Give Up』のオープニング曲“Beach Sluts”と、昨年2月に発表したEP『This One's Different』からの“For All Concern”に入る。力強く叩ききるようなドラムとドライヴ感のあるベースの上で、ジーザス&メリー・チェインとマイ・ブラッディ・ヴァレインタインを意識したという2本のギターが会場の空気を歪ませ、軋ませる。
「ハッピー・ヴァレンタインズ・デイ! 次の曲は日本の女の子みんなに捧げるよ」と言って始められたのは“Too Much Blood”。夏の陽光の下で視界の全てが白く飛んでいくような60'sポップ風のけだるい曲調は、アップテンポな曲の多いレパートリーの中でとりわけ異彩を放っている。イアンの弾くアーチトップ・ギターの歪んだサウンドにジョーダンのクリーンで硬い音色のストラトキャスターが乗せられる“This One's Different”もハイライトの1つになった。
そのテーマは、インタビューでのジョーダン・ゲイトスミスの言葉を借りれば、「不満――だけどかなり皮肉なレンズを通過させた不満」ということになる。ほとんどの曲で男女の恋愛関係から来るフラストレーションに喩えられている彼らの不満は、「アルバムで唯一政治的な曲」だという“America”で、アメリカを象徴すると思われる女性に対する「もう終わっちゃったんだから諦めなよ」というアルバム・タイトルの「アメリカ・ギヴ・アップ」に繋がるセリフによって表明される。何を諦めるのか、それは21世紀に入って以降アメリカが急速に失いながらも固執し続ける世界の覇権であるように聴こえなくもないが、はっきりしない。
不満があることとその原因の「はっきりしなさ」はティーンエイジャー特有の心性のようにも感じられるけれど、一方で彼らが十分な社会性を獲得する前に9.11以後の世界に入ってしまった世代であることも忘れてはならないだろう。80年代以降生まれの日本人がバブル期の記憶がほとんどなく、「失われた10年(だか20年だか)」がベースとしての現実になっている(つまり世代としては何も失っていない)のと同様に、ハウラーは現在を歴史的に相対化するための別種の現実をそもそも体験しておらず、したがって喪失感そのものがない。
その意味では彼らの「わけもなく感じる不満」は集合的記憶としての歴史性と個人の認識における非歴史性との混合に根拠を持つわけだが、まさに歴史性を持たないがゆえに彼らは傷を負うことも幻想を抱くこともなく、皮肉によって距離感を取りながら現実を生き抜いてしまう。それは内的な格闘の音楽ではないかもしれない。しかしそのメロディには、リズムには、多くの信念が崩れ去り、また崩れ去りつつある世界において今この瞬間を泳ぎきるための極めてプラクティカルな方法論が刻み込まれている。
セットリスト
AMERICA GIVE UP
BEACH SLUTS
FOR ALL CONCERN
TOO MUCH BLOOD
WAILING (MAKING OUT)
THIS ONE’S DIFFERENT
PYTHAGOREAN FEAREM
TOLD YOU ONCE
BACK TO THE GRAVE
BACK OF YOUR NECK
(BLACK LAGOON)...HMMMMM....MAYBE!!!!