●ラフ・トレードのお膝元でもあるロンドンからは、ブラック・ミディやゴート・ガールを筆頭に次々と有望な若手バンドが登場し、活況が続いていますよね。実際、現在のロンドン・シーンでは一体何が起こっているんでしょう?
G「シーンを牽引するもののひとつに、非常に聡明で冒険的なブッキング・ポリシーを持つライブハウスやクラブ、施設があります。例えば、ブリクストンにあるウィンドミルの、正しい方法でクラブにアプローチして人として善良であれば、誰でも演奏することができるという方針は素晴らしい。
ウィンドミルはとりわけブラック・ミディにとって大きかった。彼らはいろいろなところにギグをやりたいと申し込んだけど、誰も答えてくれず、ウィンドミルだけが彼らにギグをオファーしたんだ。そしてウィンドミルは彼らの第二の我が家のようになった。
彼らは、もし可能なら明日にだってウィンドミルで演奏する。ロイヤル・フェスティバル・ホールを満員にすることだってできるけど、繋がるために、楽しむために、ウィンドミルで演奏するんだよ。それは重要なことだ。
ファット・ホワイト・ファミリーがサウス・ロンドンで演奏していたようなものだね。彼らが影響を与えたんだ。そして、反逆者。当時はあまり注目されていなかった人たちがトップに浮上して、次世代のミュージシャンたちにインスピレーションを与えたりするものだよね」
J「ロンドンは音楽的に見ても面白いところよ。シーンが地理的に移動して、新たな地区に移動するたびにそこに新しいシーンが伴うという。
昔はよくウェスト・ロンドンのハーレスデンあたりのクラブにバンドを見に行っていたけどね。今はもう違う。それからすべてがイーストに移った。ウェスト・ロンドンの前はチェルシーだったかな。だからチェルシー、ウェスト・ロンドン、イースト・ロンドン、ブリクストン、ペッカムと移ってきた。そして場所が移動するたびに新たなシーンが生まれてきた。50年代後半はソーホーがすべてだった。そして今は間違いなくサウス・ロンドンね」
G「よくパブの楽屋で事件が起こるんだよ。月曜日の夜は何もないので、入場料の半分をあげるからここを貸してくれませんか、という。そうするとバーの売り上げが増えるし、店主も喜んで、音楽を聴いてくれる全く新しいお客さんも増える。これはとても重要なことで、イギリスの文化において常に重要だったんだ。日本でも同じことが起こっているかどうか分からないけどね。
そういった場所はどんなギグを観るにしても最高だよ。まともなPAがあるパブの混雑したバックルームというのがね。音楽的な体験として、これに勝るものはない。ウェンブリーでやれたってこれには勝てないよ」
●例えばオリジナル・パンクの震源地であり、2000年代初頭にザ・リバティーンズ周辺のデラシネなコミュニティが生まれたりと、過去にも何度もUKインディ・ミュージックの重要な役割を果たしてきたロンドンですが、そんな過去と比較して現在の同シーンの強みは何だと思いますか?
G「インターネットであらゆる音楽にごく簡単にアクセスできるようになったおかげで、我々が出会う若いミュージシャンの知識が格段に幅広くなっている。
例えば僕らがザ・リバティーンズに会った時、彼らが受けた最も重要な影響のひとつはザ・スミスのアルバム『ハットフル・オブ・ホロウ』のカセットだった。それがものすごく大きかったんだ。ピーターはそれを何度も繰り返し聴いていた。
今、ブラック・ミディやゴート・ガールと話すと、知識の深さに驚かされる。そこが違うね。例えば最近ジョーディ・グリープがマーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイン・オン』を一番好きなアルバムにあげていたんだ。とても20歳やそこらとは思えない。それはもう過去のものになったと思っていたけどね。
つまり音楽史のすべてが、これまでにない方法で入手できるようになったわけだ。昔は、チャート入りしていない音楽が欲しければ、手紙を書いて通販でアルバムを買わなければならなかった。
そういう意味では、世界はひっくり返ってしまったし、今ミュージシャンたちがやっていることにもそれが反映されているんだよ」
●ブラック・ミディ、ゴート・ガールとそれぞれ契約を結ぶに至った決め手を教えてください。彼ら、彼女たちの音楽のどこに可能性を感じましたか?
G「ブラック・ミディは、一言で言えば、卓越性。彼らはただもう素晴らしいミュージシャンだ。これまで誰もやらなかったことをやっていて、とてもエキサイティング。中毒性がある。本当に新しくて新鮮な何かを見つけたら、情熱を傾けるのは簡単なことだよ。そういうことをするのが一番好きなんだ。何かを見て、それがとても刺激的で、何らかの境界線を突き破るように感じられる。それは素晴らしい感覚だ。彼らのライブを見たとき、紛れもなくスリリングだったし、それに勝るものはない。
ゴート・ガールも同様。ふたつのバンドは全然違うけど、両方卓越している。全員女性であるという嬉しいおまけを除けば、やはり彼女たちもとても音楽的だ。彼女たちのソングライティングが素晴らしかった。狂ったようにではなく、おおらかな自信に満ちた演奏をしているのが特に気に入った。彼女たちは勇気を持って時間をかけ、重層的で面白くておおらかな音楽を作っていたんだ。
ゴート・ガールは独自の道を歩んでいて、それが彼女たちをオリジナルな存在にしている。それに(1stの)“The Man”や“Country Sleaze”といった曲は初めて聴いた時から好きだった。“The Man”を初めて聴いたのは、ウォータールー駅のアーチ下でリハーサルをしていた時で、ジーザス&メリー・チェインが最初のシングルをレコーディングした場所のすぐ近くで、その時ピンときた。
我々はバンドと契約する前にライブを観ることにしていて、それがルールのひとつとしてあるんだけど、最近そのルールを破ったかもしれない」
●ジェフさんはポスト・パンクと俗に形容されるスタイルを定義した方と言っても過言ではないと思います。ブラック・ミディからフォンテインズD.C.、アイドルズまで、近年UKで成功したギター・バンドの多くもポスト・パンクといわれるバンドたちです。ただし、ポスト・パンクは「サウンド」としてはかなり曖昧というか、広範囲に適用されますよね。そんな中でジェフさんがポスト・パンクを定義する「アティチュード」とはどういうものなのでしょう。
J「パンク・ロックは、誰もが好きなことをしていい、適合する必要はないという気持ちに火をつけた。ポストパンクはそれを握りしめて前進し、決して後ろを振り返らなかったのよ」
G「よくザ・ストロークスとザ・リバティーンズが再びポスト・パンクを面白くしたと言われているよね。我々は幸運なことに両バンドと一緒に仕事することができた。ただそれはある種の歴史の偶然だよ。リバティーンズは間違いなくストロークスに刺激を受けて、おそらく自分たちのサウンドを変えてストロークスがやっていたことを取り入れたんだ」
J「一度ピート・ドハーティに『自分の作品に真に影響を与えた最初のバンドは?』と訊いたらザ・ストロークスだと言ったのよ。私にしてみればザ・ストロークスはまだ5分くらいしか存在してないような感じだったから本当にびっくりしたわ。だから彼らを観たことはピートにとってめちゃくちゃ大きかったし、ストロークスと一緒のツアーを組んだらピートが問題を起こしまくって……。
ポスト・パンクは、一定のルールに縛られる必要がないことに気づいたのよ。ルールを破ってもいい。コードが3つ以上あってもいい」
G「僕がポスト・パンクを定義したわけではないよ。パンクから生まれたものを定義したのは、音楽を作ったミュージシャンたちだ。僕を過大評価しすぎだな!
アミル・アンド・ザ・スニッファーズ(オーストラリアの素晴らしいバンド)は、間違いなくパンクの影響を受けていると言える。今でも世界中でパンク・シーンは盛んで、決してなくなったわけではないよ」
●ゴート・ガールやウルフ・アリス、ペール・ウェーヴス、ドリーム・ワイフ等、近年のUKではフィーメール・バンド、女性フロントマンのバンドの活躍も目覚しいですよね。インディ・ギターの「ボーイズ・クラブ」ノリからの意識変化があったということでしょうか。
J「間違いなくまだバランスは取れてないけど、音楽に限らず、世界的に意識が変わってきていると思う。女性がこれまでよりも少しずつ平等を獲得していて、それが波及して当然ながら音楽にも影響を与えているのよ」
G「ラフ・トレードにはザ・レインコーツやクリネックスなど、最初から女性たちがいたんだ。昨今ではフェスティバルに女性の出演者数が少ないことが指摘されて話題になっているけど、ラフ・トレードは常に性別や人種を問わず、差別をせず、音楽の質にこだわってきたと思う」