パティ・スミス、村上春樹『多崎つくる』をボブ・ディランに喩える

パティ・スミス、村上春樹『多崎つくる』をボブ・ディランに喩える

パティ・スミスは英語版が先頃刊行されたばかりの村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の書評をニューヨーク・タイムス紙に寄稿している。

同作品について、パティは次のように評している。

「わたしはこの作品がより共通な人間の体験に根差したものになるという漠然とした予感はしていたし、わたしの好みである『ねじまき鳥クロニクル』でところどころ垣間見せていく異質な皮膚感覚はあまり味わえないのだろうとは思っていた。しかし、わたしは妙な調べが形作られていくのを、癒されえない小さな傷に巣食って少しずつ大きくなっていくのをこの作品で感じ取った。この『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を書くために村上が自身のどのような側面を源泉にしたとしても、それは村上がこれまで成し遂げてきた象徴主義的な労作の数々の遺跡のどこかに横たわっているものであるはずなのだ」

「この作品は村上作品が初めてという読者にも読み慣れているという読者のどちらにも向いている内容となっている。この作品には不思議なわかりやすさがあり、それはあたかも村上自身が書きながら物語が自ずからひもとかれていったようでもあり、時にはまったく別な作品の前章となる作品であるように思えてくることもある。意図的なのか、あるいは翻訳のせいなのか、読んでいてどこかぎこちなく、流れも粗い。しかし、それでいてある達観が、特に人が他者に対してどう影響を与えているかという意味で、如実に描かれている瞬間もある」

「この作品は村上のまた別な側面を露わにしているが、それがなにかと把握するのは容易なことではない。度しがたいほどにつかみどころがなく、曖昧で、しかし、果敢に成熟の新たな段階へともがき進んでいる作品だ。村上にとって一つの脱皮なのだ。これは『ブロンド・オン・ブロンド』ではなく『血の轍』なのだ」

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