ジミー・ペイジ、将来的なソロ活動のため「曲も書きためてある」と語る

ジミー・ペイジ、将来的なソロ活動のため「曲も書きためてある」と語る

10月29日に1971年の『Ⅳ』と73年の『聖なる館』のリマスタリング盤をリリースするレッド・ツェッペリンだが、ジミー・ペイジが今後の活動の展望を語っている。クラシック・ロック誌の取材に応えたジミーは次のようにソロとしての新作の行方とライヴ再開の可能性について説明している。

「ぼくがこれまで書いてきている作品にはいろんなムードがあって、いろんな肌合いがあるんだよ。そういう作品はそのまま出すことになるだろうから、かなり驚く内容のものもあると思うよ。むしろそうでなきゃならないし。そういう要素がなかったらぼくもやってて不満だよね。とにかく曲は揃ってるっていうことなんだ。なんとなく形になってるんだよ。ある意味で、まだレコーディングしていないことについてもよかったなと思っててね。きっといいものになるとわかってるから。いいものなら、必ずいいんだよ。リフとか、いろいろね、いいか、よくないか、そのどっちかでしかないんだから」

「現代的なレッド・ツェッペリン・アルバムをやるわけじゃないから。ぼくがこれからやる音楽はぼくが今現時点でいる地点の総決算となる内容になるんだよ」

さらにツェッペリンという経歴が自身の作品を作る上でのプレッシャーにならないかという問いには次のように答えている。

「まあ、そりゃあプレッシャーはあるよ。でもね、そうしたレッド・ツェッペリンへの期待から数十年かけて積み上がったプレッシャーとO2でのライヴ(2007年のツェッペリン再結成ライヴとなったアーメット・アーティガン追悼コンサートのこと)に加わっちゃったことも考慮に入れないとね。あの時のプレッシャーと較べたらなんでもないよ。あのライヴには誰もがわかるようにとんでもないプレッシャーがのしかかってきたんだからさ。1回ぽっきりなんだからね。アルバムのレコーディングだったら、少なくともソロを弾くんだって1回っきりじゃないんだから、まだましだよ。だから、そういう風に考えていかなきゃならないんだよ」

「新しい音楽はやっぱり新しいもんだからね。でも、よくなくちゃだめなんだ。活力に溢れてないとね。リスナーとも繋がらないとだめだし。どっか足りなかったり、気持ちがちゃんと込められてなかったりすることを新しい音楽は嫌うんだ。どこかしら、なんかしらの形で、激しさというところで、あるいはもっとリズムとかヴー・ドゥー的なところで、じゃなかったら繊細さや抱き込んでいくというようなところで、聴き手と繋がらなきゃだめなんだよ。ぼくはそういうことをやろうとしてるわけで、それはミュージシャンなら誰でもやることなんだよ。レッド・ツェッペリンの影で存在感が薄くなってるかどうかなんてことは考えることじゃないんだ。そんなことを考えるのはナンセンスだよ(笑)。まあ、わかってもらえると思うけど」

さらにジミーは「自分が演奏しているところを人に観てもらう必要がある」から、来年にはライヴ活動を再開したいとも説明している。

「だから、これだけたくさん新曲の題材を書きためてきてるんだよ。レッド・ツェッペリンの遺産の重要性についてもぼくはよくわかっているつもりだよ。だから、ぼくはここ数年にわたって新しい楽曲をずっと書きためてきたわけなんだよ。これもすごく重要なことだと思っているからね。ぼくはそういう風に考えているし、そういう風にやるしかないんだよ」

先頃ジミーは自身の将来的な活動について次のように語っている。

「ぼくがまたもし演奏をやるんだとしたら一緒にやるミュージシャンは……一部のミュージシャンはみんなには聞き覚えのない名前になるかと思うよ。まだ組んでるわけじゃないんだけど、来年にはそうしてみるつもりなんだ。もし、それでライヴをやることになったら、ぼくのレコーディング・キャリアをすべて見渡す内容のものをやりたいし、ヤードバーズとやっていた頃のものすごく最初期のものまで遡っていくつもりだよ。そこにもなんか新しいものがあるかもしれないし」

「ぼくはライヴをやるのが好きなんだよ。本当にね。ライヴ・コンサートはいつやってもおもしろい課題に溢れてて、というのも毎晩演奏して行きながら内容を変えていくことができるからなんだよ。もっと冒険に近いものにだってやろうと思えばできるんだよね。ぼくとしてはぼくの知られているものをなんだってやるつもりだよ……たとえば"幻惑されて"をインストゥルメンタルだけでやってもいいわけだし」

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