4月から『ホーリー・バイブル』の20周年記念ツアーを北アメリカとイギリスで行うマニック・ストリート・プリーチャーズだが、ジェイムス・ディーン・ブラッドフィールドは先頃、スタジオで『エヴリシング・マスト・ゴー』の全曲を試しに演奏してみたことを明らかにしている。
NME賞授賞式で取材に応えたジェイムスはその時のことを次のように語っている。
「楽にやれたよ。すごく気分が盛り上がったし、この作品を呼吸して、空にまで飛んで行けそうだった……『ホーリー・バイブル』から『エヴリシング・マスト・ゴー』へっていうね、どちらも演奏するにはすごく楽しい作品なんだけど、その意味合いはまったく違うんだよね」
また、バンドは昨年末にもイギリスで『ホーリー・バイブル』の全曲ツアーを行ったが、この全曲ライヴについてジェイムスは次のように語っている。
「すごく速いアルバムだし、俺も45歳だからね、今度のライヴでのアプローチでは特にテクニック的なところに集中してやったんだけど、やってみたら楽しくてしようがなかったから。喧嘩みたいなところがあってね、ほんとにすっきりしたよ。俺も歳取り過ぎてもう喧嘩ができないわけじゃないってことでね」
さらにアルバムそのものについては次のように語っている。
「このアルバムは俺たちにとって本当に壊れやすかったけど、とても楽しかった日々を象徴してるんだ。すごく特別な作品を作っていることはよくわかったし、そういう実感ってなかなか得られるものじゃないからね。で、時々ね、本当に特別なものを作り上げることになったりもするんだけど、その瞬間にはそのことがわからなかったりするものなんだ。でも、『ホーリー・バイブル』の時は本当にこれは大切な作品なんだってわかってたし、すべてを注ぎこまなきゃならないように感じてたし、もう失うものもなにもないように思えて、というのは当時バンドとしてもう失敗してたように感じてたんだよね。(公言していたように)アルバムを2700万枚売ることもできなくて、できなかったからってそのまま解散することもしなかったし、そういうくだらないことがいろいろあってさ。本当に重要な瞬間だったんだ。リッチー(・エドワーズ)もアルバムを作ってる間はまだそんなにひどくなかったし……嵐の前の静けさだったんだよ」
リッチーは1994年に入ってから自傷癖やアルコールと薬物への依存が悪化したといわれていて、アルバムのリリース後のツアーでも、体調を崩してライヴに参加できないことが目立つようになっていた。その後、95年2月にリッチーは失踪し、08年に親族が彼の死亡認定を受け入れた。
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