【コラム】尾崎豊は「自分だけのロックの聴き方」を教えてくれたーー生誕50周年によせて
2015.11.10 20:30
11月29日に、尾崎豊が生誕50周年を迎えるという。そんな話題にふれたときには、マジで? と思わず年月を数え直してしまった。ということは、彼が10代最後の日にリリースした3作目のアルバム『壊れた扉から』は30年前ということになる。そうだった。2013年には、デビュー30周年という節目にいろいろリリースがあったりしたのだった。何しろ、彼の年齢が26歳の春で止まったままなので、「生誕50周年」と言われると驚いてしまう。
僕が13歳のとき、彼の逮捕騒動があって、ロックスターとはそういうものなんだろう、と思ったことを覚えている。だからそのことが引き金になったわけではないのだけど、正直に言って、10代の僕は尾崎豊の良いファンではなかった。彼はとてつもなく衝動的で、ひたむきな反抗者だった。もっとクールだったりシニカルだったりするロックのほうが、根性のひん曲がった僕には合っていたのだろう。洋楽含めいろんなロックを聴きかじってから、後にふと尾崎作品を聴き直してみよう、と思い立って、ようやく彼のソングライターとしての偉大さに気づかされた。日本語の歌詞の乗せ方、響かせ方において、彼の作品群はとんでもない高みに位置している。そう思い知らされた。
『壊れた扉から』までの尾崎は紛れもなく10代の反抗者であり、そのメッセージ性が高く評価されている。尾崎の代表曲というと、この時期の楽曲が多く挙げられてしまうことになる。大人という敵の存在が明確で、ポップだからだ。自身が20代の大人になった尾崎は、歌うべき新たなテーマに迷い苦しむ。生きる、というより大きなテーマに向き合い、また逮捕騒動や、レーベル/事務所の移籍といったアーティスト活動上の変遷が、作品の流通面でリスナーとの間にノイズをもたらしていた。しかし、20代の尾崎は、『誕生』のソングライティング技術の熟成にしても、『放熱への証』のポップでふくよかな洗練にしても、優れたロックアーティストであり続けていたのである。
著名アーティストにありがちなノイズや先入観を脇に退けて、作品やパフォーマンスに向き合うことは、アーティストとの1対1の特別な対話を、そして自分だけの特別な価値を導き出してくれる。生前の尾崎豊とまっすぐに向き合えなかった僕は、残された作品群にそのことを教わった。彼の魂の熱さが苦手だったり、そのくせロマンチックでせつない人気のラブソングよりもロックンロールナンバーのほうが好みだったりして、面倒くさいやつだと天国の尾崎に笑われるかもしれない。でも、それが僕と尾崎豊の特別な繋がりなのだ。
尾崎豊のスタジオアルバムは、全部で6枚である。通して聴くにも難しい量ではないだろう。11月25日に限定生産のアナログ盤復刻ボックスセット『RECORDS:YUTAKA OZAKI』もリリースされるが、好みの形態で、自分だけのスタンスで尾崎にふれてみてほしい。僕は今、『放熱への証』を聴きながらこのコラムを書いている。18歳の誕生日に、中学時代からいろんなロックを教えてくれていた友達が、2日前にリリースされたばかりのこのアルバムをプレゼントとして用意してくれた。でもそのとき些細なことでケンカして、尾崎の遺作であるということに加えさらにしょっぱい思い出になっている。今でも、ちょっと胸がヒリヒリする。(小池宏和)