【コラム】尾崎世界観の小説『祐介』、生々しい「生きる」描写で魅せつけた計り知れない才能

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無数の言い分で綴られた物語
一方的な「言い分」を聞いたり読んだりするときに、何とも言えない居心地の悪さを感じる。それこそライターにあるまじき言い分なのかも知れないが、躍起になって「言い分」を伝える人と向き合うときほど、警戒するし、自己愛に覆い隠されたものを引き剥がしたくなってしまう。普段の生活の中でも、同情や共感よりも先に、思わず冷や水のような言葉を人に投げかけてしまうことがある。ある種の同族嫌悪なのかも知れない。

この本日刊行された、尾崎世界観の著作『祐介』を読んだ。本名をタイトルに用いていることからも分かるように、自伝的な側面を持つ小説だ。これがまさに「言い分」のオンパレードなのだが、不思議なほどドライに、風景と感情を切り取ってゆく作品になっている。とりわけ、比喩を多用して瞬間瞬間の五感の働きをつぶさに描いてゆく文体には、呑み込まれる思いがする。

幼少期の家庭内での暗たんとした体験。フラストレーションを抱え込むバイト生活。あからさまに冴えない活動のままチケットのノルマに追われ、瓦解への一本道を突き進むバンド。宙ぶらりんな希望のまま終わる風俗嬢との哀しい恋。そしてバイオレントな悪夢とそれ以上に残酷な日常、といったふうに、物語はジェットコースターのように進行する。主人公はいつでも、タフな悪意を持って運命に立ち向かうのだが、もちろん彼の悪意が望まぬ運命の引き鉄になっているので、同情の余地もない。


残酷な自評が生み出すテンポ感
じっとりとした汗や血や涙や諸々の分泌物に濡れているのに、物語は主人公の心の渇きを伝えながら急展開してゆく。あの、クリープハイプでの尾崎の歌がいつでも泣き声のようにエモーショナルに響いているのに、湿り気を引き摺ることなくスリリングなロックとして聴こえる構造と同じだ。そしてこれが最も重要なのだが、ドライな文体で次々に描かれる悪意に満ちた「言い分」は、クリープハイプの音楽的なコミュニケーション性能の高さと同様に、ありとあらゆる社会のノイズを突き抜けて届けられてしまう。

陰惨な青春を描き、その嘆き悲しみに溺れるのではなく、どこか客観的に笑っているような視点の介入が、この小説の小気味良いテンポ感を支えている。ほとんど幻覚のようなクライマックスのシーンは実に象徴的であり、しかもそこで「祐介」の在り処に辿り着くさまは感動的だ。無数の「言い分」が飛び交う社会の中で、とことんエゴイスティックかつ残酷なまでに自己批評的な文章は、実は今の時代にこそ相応しいコミュニケーションのアイデアを示しているのだ。(小池宏和)
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