【コラム】斉藤和義“ひまわりに積もる雪”から、「名タイアップ」について考える

【コラム】斉藤和義“ひまわりに積もる雪”から、「名タイアップ」について考える - 『ひまわりに積もる雪』 配信中『ひまわりに積もる雪』 配信中

資生堂の『Snow Beauty』という、女ゴコロをくすぐるデザインのコンパクトがある。現在、そのコンパクトのイメージから制作されたショートムービーが資生堂のサイトで公開されていて、その映像のために書き下ろされた楽曲が、斉藤和義の配信シングル曲“ひまわりに積もる雪”だ。ひとつの商品のイメージから、美しくファンタジックな映像を作り上げた柳沢翔監督も見事だが、その映像に申し分のないラブソングで応える斉藤和義の才能には改めて恐れ入る。柳沢監督にせよ、斉藤和義にせよ、商品コンセプトを受けてそれを最大限に表現しながらも、決してコマーシャルな作品に落ち着いていないのが素晴らしい。

Snow Beauty 2016 『逆さに降る雪』のムービーはこちら。

前シングル“マディウォーター”にしてもそうだけれど、原作ドラマの意図がまずあって、その世界観をそのままではなく、しっかり自身の中でイメージを咀嚼して新たな光の当て方で提示していくのが斉藤和義流のタイアップだと思っている。だからこそ、楽曲はどこまでいっても斉藤和義のものとして輝くし、それが使われる映像にさらなる奥行きを加えることにも成功する。斉藤和義の楽曲が、CMやドラマに好んで起用される理由はここにある。

さて、この“ひまわりに積もる雪”。哀愁を帯びたギターとメロディは、まさにピュアな斉藤和義サウンドで、とにかくシンプルなラブソングである。雪に覆われてしまった恋人の笑顔をひまわりにたとえて、また笑顔を咲かせることができるように、その雪を《僕が溶かすよ》と歌う。恋人の隣で暖かな太陽のような存在でありたいと願う切なくもどかしい思いが、少し寂しげなメロディと抑えめのアレンジで表現され、胸を打つ。大げさに盛り上げる曲ではないのに、気づけばその物語の風景が目の前に広がっているのが不思議だ。

多くの斉藤和義の楽曲が深い物語性を持つのは、そこで綴られる言葉、鳴らされる音の選びすべてに必然性があるからで、余計な情報ノイズを入れないというか、必要なものだけを細部にまで配しているから、年月を経ても楽曲が色褪せることがない。これこそ究極の普遍と言えるもので、だからこそ例えば“歌うたいのバラッド”にしても、19年も前の楽曲でありながら、今なおその輝きを失うことなく、素晴らしいラブソングとして愛され続けているのだろう。今回の“ひまわりに積もる雪”も、「決して色褪せない曲」であることが初めからわかる曲だ(それって凄いこと)。永遠に続く愛なんてなくても、「ずっと続く」ことを信じたくなる、そんなあたたかい歌。(杉浦美恵)
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