【コラム:電気グルーヴ】アルバム『TROPICAL LOVE』を聴いて世の中の「美」について思う

【コラム:電気グルーヴ】アルバム『TROPICAL LOVE』を聴いて世の中の「美」について思う - 『TROPICAL LOVE』発売中『TROPICAL LOVE』発売中

気持ち悪いニヤケ顔で聴いているか、ものすごい真顔で聴いているかのどちらか。かと言って、聴くのを止めることもできない。電車の中で『TROPICAL LOVE』に触れていると、いずれにしても近寄りがたい人間になれるのは間違いないだろう。この感覚は以前にも味わったことがある。17年前、『VOXXX』がリリースされたときだ。仕事帰りにまったく同じことをやっていた。我ながら「これを待っていたのか」と愕然とする。命の続く限り人生がかったるいものであるのと同じくらい、「電気グルーヴを聴く」という業から逃れることが出来ない。

電気グルーヴほど「美」の概念に忠実なアーティストを見つけるのは難しい。磨き抜かれた音像はいつでもすこぶるカッコよく、それと同じくらい楽しそうに生き、上手に年齢を重ねるという人間的魅力を振りまいている。ソロアーティストとしても世界に名を轟かせる石野卓球と、マルチなタレントとして多忙なはずのピエール瀧がこのグループの活動を止めないのは、ひとえに自分たちの核にある「美」を、電気グルーヴが体現し続けてきたからだろう。

「美」には基準がない。モナ・リザや見返り美人のそっくりさんが来週発売の雑誌の表紙グラビアを飾ることがないように、「美」はとても移ろいやすいものだ。日々新しい「美」の基準が生まれ、時代を更新してゆく。変化の過程にこそ「美」の本質があり、それを希望と言い換えることもできるだろう。アートが新しさと無縁でいられないのはこのためだ。無理に固定された「美」は、瞬く間に時代遅れのレッテルを貼られてしまう。「美」はとても厄介で、ときにふざけているのかと思うくらい曖昧で、だからこそ刺激的なのだ。

ナンセンスな言葉(とビジュアル)を鋭く音楽的に伝えることで、電気グルーヴは新たなカッコよさ=「美」の基準を世間からもぎ取り続けてきた。かつて『VOXXX』は、異様な執念の塊のようにそれを鳴り響かせていた。しかし2000年代前半の活動休止期間が明けた後、よりポップな懐の深さをもって世間に侵食してきた電気グルーヴは、25周年企画やヒストリー映画『DENKI GROOVE THE MOVIE? -石野卓球とピエール瀧-』を通して、輝かしいキャリアの輪郭をより明らかにする。

考えてもみてほしい。あのふたりに向けて、世間から羨望の眼差しが寄せられ続けることの可笑しさと、その大きな希望を。これが「美」でなくて、一体何だというのだ。電気グルーヴのニューアルバム『TROPICAL LOVE』は、周回差をつけてゴールしてもなお全力疾走を止めることのない、ぶっちぎりのウィニングランのような作品だ。《夜通しオール いけるか愚問/いつもと顔変わっちゃってる もう》《迷わず見てくれ 体温が下がるまで/まどわす仕草で 全身が熱くなる》(“顔変わっちゃってる”)。そんな瞬間を見つけることのできる生活に、KenKen、トミタ栞、夏木マリらといった、溢れんばかりの人間力の持ち主たちも加担している。(小池宏和)
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