【追悼チェスター】初期2作のプロデューサー、チェスターとの思い出を回想

【追悼チェスター】初期2作のプロデューサー、チェスターとの思い出を回想

チェスター・べニントンの訃報を受け、リンキン・パークの初期の2作『ハイブリッド・セオリー』と『メテオラ』のプロデューサーを務めたドン・ギルモアが「ビルボード」誌に対しチェスターとの思い出を語った。

アヴリル・ラヴィーンやグッド・シャーロット、パール・ジャムやテンプル・オブ・ザ・ドッグの作品も手掛けているドン・ギルモアは、リンキン・パークの『ハイブリッド・セオリー』と『メテオラ』のプロデュースによりロック・バンドとしてのリンキン・パークの位置づけを明確にしたと言える。

ドン・ギルモアは『ハイブリッド・セオリー』を担当することが決定する以前、チェスターの歌を聴いた時のことを思い返し以下のように語っている。

「マネージャーからバンドのデモ音源を受け取ったんだ。すばらしい、とまでは思わなかったけど、独創的なことをしようとしてるという意味では良いなと思ったよ。それでバンドに会うことにして、リハーサルにも行って、チェスターが歌ってるところを見たんだ。『何てこった、こいつはほんとに特別な奴だな』って思ったね。小さくてみすぼらしいスタジオで、あんなにすばらしい歌声を聴かせる奴なんてそれまで見たことなかった」

そして当時はチェスターの歌声で鳥肌が立つほどだったようで、「スタジオに入って鳥肌が経った経験は4、5回あるんだけど、その内の1回はチェスターの歌声を聴いた時。それともう1回は、変なんだけど、テンプル・オブ・ザ・ドッグのレコーディングをした時、クリス・コーネルの声を聴いた時なんだ」とチェスターとクリス・コーネルの共通点についても明かした。


また、チェスターがバンドに加入してからしばらく名乗っていたバンド名「ハイブリッド・セオリー」の名前を冠した『ハイブリッド・セオリー』の制作に関しては、「(チェスターは)1stアルバムの『ハイブリッド・セオリー』の収録曲すべてに深く関わっている。2ndの『メテオラ』ではチェスターが携わった楽曲は少し少なくなったけど、それでも、チェスターなしでは完成しなかったね」と語り、以下のように続けた。

「プロデューサーとして、どのアーティストと仕事をしている時でも『ここをリライトしたらもっと良くなるはず』とか、『ここはもっとうまく歌えるはず』とか、アドバイスするんだ。大抵のアーティストはなかなかそれに従わず、結局なあなあになってしまうことが多い。でも、リンキン・パークは必ず、信じられないぐらい良くなったものを持ってくるんだ。俺の指摘にイライラしたり、頭にきたりしてたこともあるんだろうけど、いつでも最高の結果を出してきてたね」


そしてデビュー当時のチェスターの第一印象に関しては、「当時は、ただの良い奴って感じだった。リンキン・パークのメンバーは全員良い奴なんだよ。でもさっき言ったリハーサルで、チェスターは他のメンバーから頭ひとつ抜けてた。彼がいたからこそ、このバンドとどうしても仕事がしたいっていう気になったんだ」と話している。

デビュー・アルバムを担当するきっかけとなったチェスターの声については、「(バンドが)元々ボーカルを探していた段階では、チェスターみたいな声を探してたわけじゃなかったと思うんだ。インキュバスとか、そんな感じのボーカルを探してた。」

「チェスターのおかげでロック界で今みたいな地位を獲得してるけど、最初はここを目指してたわけじゃなかったと思うんだ。でも、誰もチェスターの声には抗えなかったのさ」と、チェスター加入時の秘話も明かした。


『ハイブリッド・セオリー』がヒットを記録したものの、バンドの2ndアルバムを担当できるとは考えていなかったと言い、「2ndアルバムの『メテオラ』を制作することになった時、チェスターと当時のワーナーのCEOのトム・ウィアレイがまた俺をプロデューサーに指名してくれたんだ。このことに関して、チェスターには本当に感謝してる。別のプロデューサーを検討したんだろうと思うけど、結果的には俺を選んでくれた。トム・ウィアレイの協力のおかげもあって、『メテオラ』のレコーディングは本当にスムーズだったし楽しかったよ。」「マイクとチェスターも相変わらず最高だったしね」と当時を回想している。

初期の2作を担当したドン・ギルモアだが、その後はチェスターと個人的に連絡を取り合うこともなかったようだ。チェスターの思い出を尋ねられたドンは、「本当に最悪だなと思ってるんだけど、チェスターには長いこと連絡を取らず終いだったんだ」と明かし、以下のように続けた。

「いくつか問題を抱えてるのは知ってたけど、彼はそういうことをちゃんと話す奴だった。『こういうことなんだよ。奥さんは今こんなことをしててね、で、これからはあれもやろうと思ってるんだ』っていう具合にね。ユーモアのセンスも抜群で、笑うことが好きな奴だった。」

「本当に、面白い奴だったんだよ。こんなことが起きて、悲しいなんてもんじゃないね」


そして最後に、チェスターが果たした功績について以下のように評している。

「(チェスターが残した遺産は)彼の作品群すべてだよ。世界中の人たちを感動させたんだから。それに、シンプルで正直なバンドの性格を守り続けて、バンドを安売りするなんてことがなかった。文化の違う場所でも、世界中の至るところでリンキン・パークというバンドが知られていて、例え英語が話せない人たちでもリンキン・パークの曲を何曲も歌うことができるんだ。それって本当にすごいことだと思うんだ」

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