宮崎駿監督の新作と、そのタイトルになった吉野源三郎の著書『君たちはどう生きるか』について

僕は、小学生の時に『風の谷のナウシカ』に大きな衝撃を受けてからずっと、人の親になった現在に到ってもまだ、宮崎駿作品に「君たちはどう生きるか」と問われ続けている気がしている。
だから引退宣言を撤回して現在制作中だという映画のタイトルを聞いて、これまで自分が体験してきた人生におけるいくつかの激動の瞬間に生きた答えを導き出す手がかりとして、宮崎駿作品のメッセージがあったということを改めて思い返さずにいられなかった。

このタイトルの元になっている吉野源三郎の本が最初に刊行されたのは、戦前の1937年。
今年8月に、池上彰氏の推薦文付きの新装版と共に、初のマンガ版も刊行されて話題になったが、時代を超えてそのメッセージに心をうたれる人が後を絶たない、まさに名著である。
物語の軸は、2年前にお父さんを亡くしたコペル君というあだ名の中学2年生の男の子と、大学を出て間もない法学士の叔父さんの交流。
叔父さんがコペル君にいつか渡すべく書き綴っているノートの内容も作品の中で大きな割合を占めていて、小説としては少し特殊な形態の本でもある。

主にそのノートを通じて、叔父さんがコペル君に伝えることは、例えば以下のようなこと。

・一人一人の人間が、広いこの世の中の一分子で、みんなが集まって世の中を作っていて、みんな世の中の波に動かされて生きているということ。
・自分ばかりを中心に物事を判断してゆくと、大きな真理を知ることはできないということ。
・自分が本当に感じたことや、真実心に感じたことを少しもゴマ化してはいけないということ。
・今の世の中では、人間同志のつながりは、まだまだ本当に人間らしい関係になっているとはいえないということ。
・普段世間から見下されている貧しい人々の中に、自分が消費するよりもたくさんのものを生産して世の中に送り出している、頭を下げるべき人が多くいるということ。
・英雄とか偉人とかいわれている人々の中で、本当に尊敬できるのは、人類の進歩に役立った人だけだということ。
・自分の過ちを認めることはつらいけれど、過ちをつらいと感じることの中に、人間の立派さもあるのだということ。


そこには、最初に書いた宮崎駿作品から自分が問われてきたことに通ずるものがたくさんある。
具体的に、この吉野源三郎の著書と宮崎駿の新作の関わりがどういうものになるのかはわからないけれど、その映画を見る体験は自分の人生において特別な意味を持つ時間になるのだと思う。(古河晋)
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