アーティストのインタビューをしているとたまに「転校生」というワードが出てきます。
自分がこういう歌詞を書くようになったのは転校生だったから、とか、転校したことでそれまでの環境がガラッと変わった、とか、同じ転校生同士で誰それと仲良くなった、とか、自分を語るときのエピソードとして転校生という言葉が時々登場します。
先月号のEveも話していたし、川谷絵音のインタビューでもその話が時々出てきます。
大抵はさらっと語られることが多いのですが、僕はそういうときに思わずぐっと体を乗り出してしまいます。なぜなら僕も転校生だったからです。
転校というのはなかなかの大事件です。
大人になってからの転勤や引っ越しとはわけが違います。
小学生なりに、中学生なりに一生懸命作り上げた学校での友達関係や地元での生活ノウハウが、転校したその日に完全にリセットされてまた一から始めなければならないのです。
学校への道順もよくわからない、クラスに放り込まれても誰の顔も名前もわからない、そもそもみんなが話している方言を正確に理解できない。すべてが違和感です。しばらくの間は挙動不審でいるほかに為すすべはありません。
しばらくすると慣れてはくるのですが、不思議なことにその違和感は完全には消えません。
みんなが知っているのに自分だけが知らないことがあったり、自分にはあまり関心がないことにみんながこだわったり、そんな出来事があるたびに違和感の膜が自分と周囲の間に現れるのです。
これは大げさではありません。
転校生にだけわかる感覚だと思います。
周囲の人は時間が経てば転校生を転校生として見なくなるのですが、転校生は、ずっと転校生のままなのです。
「転校生」よりはレアケースですが「帰国子女」というのもたまにアーティストのインタビューで話に出てきます。
RADWIMPSの洋次郎やユニゾンの斎藤宏介、[Alexandros]の洋平もそうですね。
帰国子女もまた転校生と同じように、帰国子女にしかわからない帰国子女感覚みたいなものがあります。
そしてそれもその人の中でずっと消えずに残っていることが多いです。
その帰国子女感覚とはなにかというと、「海外生活の経験がある」ではなくて、「外国人だったことがある」という感覚です。
僕は小学校で3回、中学校で海外へ1回転校したので、バリバリの転校生でもあり帰国子女でもあります。
で、帰国子女というと「海外生活の経験がおありで」的なまとめ方をされるのですが、帰国子女の最大の体験は「海外での生活」とかではなくて、「外国人だった」ということです。
移り住んだ国で、自分だけが違う言葉でものを考えて、自分だけが違う音楽やテレビ番組を見て育ち、自分だけが違う風景の中で生きてきた──そんな「外国人としての自分」として異国の地で生きている間に、いつの間にかガイコクジンになってしまうのです。
そして帰国子女は日本に帰ってきてからも自分の中にその「外国人としての自分」を一匹飼っているのです。
面白いことに、そいつは日本に帰ってきてからも外国人としてものを感じ、時には生き方や考え方の主導権を握ってくる場合もあります。
変わり者の帰国子女、多いでしょう?
でもそれはけして外国かぶれとかではないのです。
一度外国人として生きるという経験をすると、どこで生きていても自分は外国人だと感じてしまうのです。
転校生感覚も帰国子女感覚も、ある方がいいとかない方がいいとかそういうものではないと思います。
ただ、例えば幼なじみが集まって組んだバンドにどこか尊い暖かさのようなものが自然に漂うのと同じように、転校生や帰国子女のアーティストの表現にはなにか独自の空気や世界観があるのを僕は感じます。
だからインタビューでその話が出ると、ちゃんとそこを掘り下げて、同じ転校生/帰国子女として理解してきちんと評価したくなるのです。
異端者としての自分をさらけ出して肯定するロックという表現に、あなたの過去の経験とそこで身につけた感覚は活きていますよと、ちゃんと指摘してあげたい気持ちになるのです。(山崎洋一郎)
転校生のこと(ROCKIN’ON JAPAN最新号『激刊!山崎』より)
2026.02.21 14:25