イギリスのギタリストとして君臨してきたその長いキャリアと人生の中でも、特にドラッグやアルコール依存症などに陥った経緯の詳細にも触れて話題となっているドキュメンタリー映画『Eric Clapton: Life in 12 Bars』がイギリスで公開になったエリック・クラプトン。
これを機に、2008年に「Esquire」が掲載した語録を振り返ってみたい。
自身が音楽にのめり込んだ理由について
最初からほかのどんなものとも違って、音楽は心を許せるし、ほかの誰からも指図を受けなくても済むとわかっていたんだ。音楽は誰にも橋渡しされずに直接触れることができるってね。学校で触れる他のどんなものも、まずは説明がなくちゃやれないことだったから。
ジミ・ヘンドリックスと薬物について
ジミ・ヘンドリックスに贈るつもりでギターを買ったんだよ。白い左利き用のストラトキャスターだったんだ。その翌日にジミが死んだって知ってね、酒と薬のちゃんぽんでラリッて自分の吐瀉物がつかえて窒息したって。そんなことがあっても、なんでぼくはそれでも薬をやめなかったのか。それはもうただ自分が傲慢だったからとしか言いようがないね。
(中略)今振り返ってみれば、薬で世の中を遮断してたあの時期にぼくのところに来て話をしてくれたのは、すべて思いやりと愛情からだったんだとわかるんだけど。それをまったく聞き入れずに無下にあしらってた自分は本当に無思慮で鈍感だったなとよくわかるよ。
依存症について
中毒というのはもうただ言いなりにさせられるだけなんだ。
自分がどん底にまで落ちたことを教えてくれたのは釣竿だったんだ。みんなはもうぼくがすっかりやられてるって話しててね。それに対して、ぼくは「すっかりやられてるのかな、ほんとにそうかな。自分にはそう思えないんだけどな」って思っててね。でも、本当にそんな状態だったらどうすりゃいいのかなって考えて、釣りにでも行くかなって思ったんだ。
ぼくとしては自分は昔から釣りがうまいつもりだったからね。それでウェイ川まで車で行って、よさそうな場所を探してね。道具を全部準備し終わったと思ったところでふらついて転んで竿を折ったんだよ。もう釣りさえまともにできなくなってたんだ。そこでどん底に落ちてるって気づかされたんだ。おまえはもう釣り師とは呼べないよって。もういい加減に目を覚ませよってね。
“Layla”、そして1991年に4歳で事故死した息子を歌った“Tears in Heaven”について
“Layla”は金脈を掘り当てたような感じだったよ。川の水を覗き込んで、砂の中に砂金の輝きをみつけたような感じがあるんだ。いずれにしても、ぼくの場合には「この曲はきっとみんなに受けるな」って思うことなんてないんだ。思う時にはいつも「これは金脈だ!」っていう感じのものなんだよ。
※なお、クラプトンは“Tears in Heaven”を2004年にライブで披露するのをやめたが、その後、2013年からまた演奏するようになった。“Tears in Heaven”は今ではもうかなり絶妙な曲で、今じゃもう弾く気になれないんだ。自分の息子の思い出や当時ぼくが感じたことを使って、聴き手になんかしらの影響を及ぼそうとするのは間違っていることだとしか思えないんだよ。