発売中の『ROCKIN’ON JAPAN』3月号には、牛丸ありさへの2万字インタビューが掲載されている。生い立ちから、大阪・寝屋川への思い、衝動が根ざすところ、恋と愛。そのすべてを語られた貴重なテキストとなった。その中から発言の一部をお届けする。
インタビュー=小栁大輔 撮影=藤原江理奈
子どもの時にお母さんに言われたのは、『感受性豊か』ってことですね。物心ついた時から、人前に立つことしかイメージできなかったんです。それがバンドなのか、モデルなのか、女優なのかは全然わかんないけど、何かしらで自分が人前に立つ仕事をしてる未来しか想像できなかったです
オーストラリアに住んでから長野に行って、そのあと寝屋川の隣の枚方ってところに引っ越したんですけど、そこが一番長かったんですよ。で、高校1年生の時に寝屋川に来たんですけど、やっぱり寝屋川が一番心にスッと馴染んだ感じがあって。その時の気持ちも大きいと思うんですけど、いろいろ住んできたからこそ、寝屋川を愛せるというか
中学3年生で好きになった男の子が、加藤ミリヤとか青山テルマみたいな、R&B系のイケイケの音楽が好きって聞いて、そういう歌をめっちゃ練習してたんですよ(笑)。お風呂でめっちゃ練習して、そのおかげでちょっとだけ歌がうまくなりました
グレてるとかじゃないけど、「とんでもないことをしたい」みたいな欲求はずっとありました。そこから、ランドセルで学校に通い始めて。「何かおもしろいことをしたい」っていう気持ちがあったんですね。で、ランドセルを背負い始めたんですよ(笑)。そっから後ろ指さされたり、笑われたりし始めるけど、「指しとけ指しとけ」みたいな。むしろ「その人の一日に変化を起こせた」と思ってました