Mrs. GREEN APPLEの“PARTY”MVは、壮大なファンタジー映画のような物語だ

Mrs. GREEN APPLEの“PARTY”MVは、壮大なファンタジー映画のような物語だ
Mrs. GREEN APPLEが4月18日にリリースしたニューアルバム『ENSEMBLE』。
そのリードトラック“PARTY”のミュージックビデオが、リリース前日の4月17日/『ENSEMBLE』リリース記念フリーライブ前に公開された。

そもそも“PARTY”という曲は、ミセスがこのアルバムで描いた、テーマパークの中のまさしくアトラクションのように、曲調がポップだったりしんみりしたり激しくなったり……と、1曲の中で展開がめまぐるしく変わる。
一聴するとポップだが、歌っていることは死生観だ。

そして、この楽曲のMVだが、5分弱の映像の中に、壮大な物語が詰まっている。


MVはこの尺で完結していて、それはそれでショートフィルムのようだが、例えば、この物語の主人公であろう女の子と、同行しているおじいさんの関係は?
最初に助けた白塗りの男性、森の中で踊っていた男の子、みんなが楽しそうにしているところを影から覗いている女性……彼らの素性や、ここに至るまでの物語。
その女性が泣いていた理由、そして、女の子が血を吐いていた理由――息を引き取ったようなラストシーン。
サーカスのようなイントロから始まるので、まるでピエロやサーカスのキャストのような登場人物の外見から、よりポップなイメージが思い浮かぶが、ピエロという存在はつらいことを誤魔化す道化というイメージもある。
ここに挙げただけでも、このMVの中の登場人物や、短く描かれたやりとりだけで、想像力が掻き立てられる。そうすると、まるで壮大なファンタジーのようにも思えるし、童話のようにも見えてくる。

曲調の展開に合わせて物語も展開していき、このMVで描かれていない「間の物語」を想像することで、物語はどんどん膨らむ。
そして想像する人によっても、また違う物語が思い描かれるのだろう。

例えば、私が想像した物語はこうだ。
――ある事情で城を追いやられたお姫様が、じいじを連れてあてもないまま旅をしている途中、その容姿のせいでいじめに遭って彷徨っていた白塗りの男性と出会う。心優しい姫に救われ、男性はふたりについていくと、森の中で楽しそうに踊る男の子を見つける。姫と男の子はすぐに意気投合し、みんなで楽しんでいるところを、影から覗いている女性。実はその女性は自分の子供を亡くしてしまい、哀しみに暮れていた。姫は、その哀しみに寄り添い、5人は一緒に旅を続ける。しかし、姫は不治の病で、そのせいで城を追放されていた。彼女は笑顔に努めるが、男の子は踊ること以外に知らなかったから、ひたすら彼女を楽しませようとする。何か彼女のためにできることはないかと思案する4人は、姫の残り少ない命を笑顔で満たそうと、それこそ「馬鹿」になったようにパーティーのような楽しさに明け暮れる――が、最期まで側で愛してくれた仲間に寄り添われて、姫は息を引き取る。きっと姫の短い人生は、この仲間たちのおかげでとても楽しいものになっただろうし、仲間になった3人の人生も、この旅で変わっただろう。大切な人の死を乗り越え、前を見据えて、明るい未来へ進んで行く――。

人は、人種も性別も育った環境も何も関係なく、生まれ、死んでいくもので、出会う人によってその人生は変えられるし、自分がその人を笑顔にしたいと思うことだってある。嬉しいことも楽しいことも、哀しいことも、ひとりじゃなく側に誰かが居ればより楽しいし、つらいことだって乗り越えられる。人はみんな独りじゃなく、人はみんな綺麗な人ばかりではない。それでも誰かと寄り添い、寄り添われて生きていく。
“PARTY”は、ポップでありながら、飾らない言葉で、時にはシャープに、時にはソフトに、「人は素晴らしい」という根源を歌っていると感じた。

余談だが、曲調が1曲の中でいろいろと変化し、ストーリーを想起させる曲というのは、モーツァルトをイメージさせる。ミセスの楽曲は、ジェットコースターのようと言いつつ、実はそのくらい大きなバックグラウンドを秘めているのではないかと思う。

“PARTY”のMVは、「幸せ」、「苦しみ」、「哀しみ」、「楽しみ」、「絶望」、「死」、「生」という、命の始まりから終わりまでの物語――それをファンタジーとして表現し、まさに人生は「PARTY」のようだと歌った、映画のような作品だと思った。(中川志織)

Mrs. GREEN APPLEの“PARTY”MVは、壮大なファンタジー映画のような物語だ - 『ENSEMBLE』通常盤『ENSEMBLE』通常盤
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