ケヴィン・シールズ、『ラヴレス』の「轟音ノイズ」が生まれた瞬間を語る。「コルムと僕は5歳児みたいに笑ってた」

ケヴィン・シールズ、『ラヴレス』の「轟音ノイズ」が生まれた瞬間を語る。「コルムと僕は5歳児みたいに笑ってた」 - 『rockin'on』2018年6月号より『rockin'on』2018年6月号より

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『ロッキング・オン』6月号では、2号連続特集の第1弾として、ケヴィン・シールズらメンバー全員が『ラヴレス』について語ったインタビューの前編を掲載している。

1989年当時、ケヴィンとドラムのコルム・オコーサクは大きな倉庫の脇に押し込められたスタジオを住処としていたという。

このスタジオに「可能なかぎりでかい音を出すためにアンプを引きずり出した」というケヴィンは、コルムとの思い出を話しながら、今ではバンドの代名詞ともいえる轟音ノイズが生まれた瞬間について、以下のように語っている。

僕とコルム(・オコーサク、ドラム)しかいなかった。彼がベースを弾いて、僕は弦を全部チューニングし直してたから、すごく低くてぐにゃぐにゃした音になってさ。この時僕たちは、バカでかくて鈍いノイズを生み出したんだ。

部屋が振動してライトがチラチラと瞬いていた。それで僕たちは通常とは異なる心理状態に陥った。演奏を止めた途端、外から騒音が聞こえてきた。どうやら大家が40分間ドアを叩き続けていたようだった。そこのギャラリーはまったく防音になってなかったんだ。でもドアには鍵がかかっていたから中には入れなかった。

彼は激怒していたけど、怒りを持続させることができなかったんだ。僕たちがイカれてると思ったからね。だってコルムと僕はまるで5歳児みたいに笑ってたからさ。世界一強いドラッグをやってるみたいに感じたんだよ。その時気づいたんだ、「これは何かある。もし他の人もこれを感じることができたら何が起こるんだろう?」ってね。


この時、彼らが生み出した音は、数ヶ月後にレコーディングを開始した『ラヴレス』に新たな視点と焦点を与えたという。

そんな『ラヴレス』をコルムはどんな作品だと思っているのか。以下のように語った。

作品としての『ラヴレス』は、それ自体がひとつの宇宙なんだよ。

聴くたびに、違うものが聴こえてくる。まるで野生生物かクジラか何かを聴いてるみたいなんだよね。それ独自の時空間を持っているんだ。


1stアルバム『イズント・エニシング』(1988)がバンドにとってブレイクスルーとなった一方で、4人はプレッシャーの高まりも感じていたという。

また1988年前半にEPを作ろうとして2度失敗したケヴィンと、プライベートでもパートナーであったギター/ボーカルのビリンダ・ブッチャーの関係も崩壊し始めていたという。

ビリンダは、当時のケヴィンとの関係性、そしてバンドの状態も含めて『ラヴレス』というタイトルについて以下のように答えている。

あの時点では、2人の間ではいろんなことが壊れてきてたと思う。

一緒の家に住んでいて、顔は合わせるんだけど、でも別々の領域にいるっていうか。『ラヴレス』が『ラヴレス』って名前なのは、私たちの関係が壊れかけていたからだけじゃなくて、制作プロセスのすべてが困難だったからよ。


2号連続特集・第1弾では、ほかにも14歳のケヴィンがパンク・ロックにのめり込み、初めてギターで弾いた曲がバズコックス“Harmony In My Head”だと明かすなど、メンバー個人のエピソードを通してバンドの歴史を辿れるような内容になっている。

名盤『ラヴレス』はどのように生まれ、また4人にとってどのような作品なのか。メンバーそれぞれの想いを、ぜひ本誌で確認してみてほしい。



『ロッキング・オン』6月号の詳細はこちらから。
http://www.rockinon.co.jp/product/magazine/144391

ケヴィン・シールズ、『ラヴレス』の「轟音ノイズ」が生まれた瞬間を語る。「コルムと僕は5歳児みたいに笑ってた」 - 『rockin'on』2018年6月号『rockin'on』2018年6月号
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