宇多田ヒカルはなぜ時代を歌わず人々の心に寄り添うのか――『SONGS スペシャル』を観て

6月27日に『初恋』をリリースした宇多田ヒカルが、6月30日のNHK『SONGS スペシャル』に1年9ヶ月振りに登場した。今回の放送では彼女の【言葉】の魅力について、芥川賞作家の芸人・又吉直樹との初対談や、編集者/ライターの若林恵によるインタビューなどを踏まえて探り、さらに“初恋”、“Play A Love Song”、“あなた”のパフォーマンス披露もあった。

両親ともに音楽家という稀有な環境に生まれ、自身も15歳という若さでデビューした宇多田ヒカルは、人間関係も住む場所も感情も全てが安定せず、本の中に自由や他者との繋がりを求め救われていたという時期について「(現実の生活では)何が起こるか分からない。0.5秒後にはそれが全部ひっくり返されるのが普通だった」と振り返った。そして「安心したいけど、安心したら絶対に傷付くし裏切られるからできるだけそうしないようにしていた。(又吉「でもそれを望む自分も完全に消し切れないから……」)そう、だからそういう感情が『祈り』や『願い』になっていった」と、歌詞に込められた想いを語った。

一瞬先が分からない、何かが始まってもそれがいつ終わるか分からない――それは万人が抱く不安であることに変わりないが、宇多田ヒカルはその真理に幼い頃から気付き、毎分毎秒直面してきた。友達と遊び、恋に悩み、「宿題が終わらない!」なんて嘆いていることが【普通】である時期に、彼女は生まれた環境と闘い受け入れ、【普通】とはかけ離れた人生と音楽に向き合っていた。そういった稀有な人生の途中で一旦【普通】を知るための「人間活動をする」という名目の休止を挟んだ彼女だが、彼女の言葉は今も昔も変わらずに【普通】に浸かりきった私たちの心にも柔く深く浸透していくのだから不思議だ。そしてその理由については、インタビューの中であった宇多田が大好きだという宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の一節がヒントになっているように思う。

「なにがしあわせかわからないです。
ほんとうにどんなつらいことでも
それがただしいみちを進む中でのできごとなら、
峠の上りも下りもみんな
ほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」
――宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

例えば20年前の宇多田ヒカルの曲を改めて聴いても、今なお新鮮な気付きを得たり感情移入したりすることができるのは、曲を生み出す彼女自身が「その場凌ぎの安心感」に身を沈めず、無意識にも意識的にもずっと先の希望を見据えてくれていたからなのではないかと思う。そしてそれは、番組後半での若林恵との対談の中での「なぜ、時代を歌わないのか?」という質問に対して宇多田が答えた「時代の流れとか外の世界と遮断されて生きてきたわけではないですけど、音楽に全く関係してこないんです。そこに訴えたいことがないというか。誰かが私の音楽を、ヘッドホンをして部屋で1人で聴いてるみたいなイメージしかできないんです。私と、私じゃない誰かとの関係しか想像できない。50年前の誰かでも、50年後の誰かでも」という言葉で確信に変わった。宇多田が冒頭の幼少期の話の中で「本を読むことによって作者(誰か)と繋がることができる気がして、それに救われていた」と話していたような〈言葉〉の可能性をまさに彼女自身が体現し、そしてそれらをヘッドホン越しに受け取った私たちが同様に感動し救われているのだなと思い、何十年経とうとも決して揺らぐことのないその一貫性に感動を超えて敬服してしまった。

さらに番組の最後には最新アルバム『初恋』についても触れ、その中で「私にとって初恋とは、【人間として初めて深く関わった人】のことなんです。だから私は恋愛においての初恋って経験がないんですよ。母親と父親が初恋の対象だと思っていて。恋っていうより愛ですね。理解しようとするのが、その後に続く他の人との関係だと思っていて。だからテーマはずっと変わってないんですよ」と語っていた。「僕と君」、「私とあなた」という最も身近でありながらも繋ぎ続けるのが何より難しい美しくて儚い関係性を、これまでもこれからも歌い続けていく――今や日本のみならず世界中から求められるアーティストである宇多田ヒカルの楽曲が、何故こんなにも近く感じられるのか?の所以が紐解かれたような思いだった。

今回の『SONGS スペシャル』は7月8日(日)午前1時55分から再放送が決定したとのことなので、放送を見逃してしまった方にもそうでない方にも是非とも観て頂きたい。宇多田ヒカルの曲との「対話」をせずにいられなくなるはずだ。(峯岸利恵)
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