欅坂46“黒い羊”MVの何度観ても止まらない衝撃


欅坂46が先日、新曲“黒い羊”のミュージックビデオを公開した。

楽曲が初解禁された時点で私は、「同じ意見を持つ白い羊たちの群れの中に、そうではない自分が混ざっていることの孤独な独白」のような曲だというコラムを書いた。しかしその感想はあくまで曲単体としてのもので、MVを観たことで“黒い羊”がもっともっと奥深い作品に感じられた。やっぱり欅坂は、1つの作品を楽曲・映像・ダンスの全てを組み合わせて表現するグループだ。

このMVの中でメンバーたちは、数秒という短い時間にも関わらず、表情やしぐさだけで「心に暗い影を持つ若者たち」を怖いくらいリアルに演じている。学校で酷いイジメを受けている女学生、バスタブで自分自身を傷つけて泣いている女の子――そんな苦しむ彼女たちを、赤い彼岸花を手に持った平手友梨奈が次々と抱きしめていく。クライマックスの平手の鬼気迫るソロダンスと今までに見せたことがないほどの切ない眼差しまで、どこを切り取っても強烈なインパクトを残すMVだ。

公開後には様々な意見や解釈が飛び交っていたが、私には、平手が楽曲“黒い羊”に宿る主人公で、メンバーたちはそうならざるを得ない状況や環境の中で「黒い羊」(のけ者)になってしまった人であるように感じられた。なりたくてなったわけではない「黒い羊」たちの苦しみや葛藤、自分の感情を誤魔化してでも「白い羊」であろうとする抵抗、そんなものが平手からの抱擁を突き放すダンスとして表現されている。そう考えると、どこか安心した表情を浮かべながら平手のことを抱き返す人たちは、この“黒い羊”という作品に救われた人の姿ということにならないだろうか。

少し話が逸れてしまうが、ロックバンドThe SALOVERSの楽曲“ディタラトゥエンティ”にこんな歌詞がある。《死にたくないとか生きてゆけないとか/若き日によくこぼしたあの口癖は/いつの日か誰かの心を癒すでしょう》。受け手によっては「ネガティブ」や「若さ」と簡単に片づけられてしまう言葉も、誰かにとっては孤独な心を癒すほどの切実な言葉にもなり得る。例え今の自分の状況に当てはまらなくても、ずっと前に感じていた孤独や寂しさと交差して、深い共感を覚えることだってある。そういった力を持つ言葉や表現はいつだって、受け取った全員がすぐに理解したり納得したり出来るものではない気がするのだ。

だからこそ“黒い羊”は、聴く人によって感じ方の程度が大きく変わる作品であり、様々な意見や解釈が飛び交うことこそが正解なのかもしれない。ただ一つ確かに言えるのは、この作品の主人公が「黒い羊で居続ける」と断言したのは、全ての「黒い羊」たち、もしくはその気持ちがわかってしまう「グレーな羊」たちの心を抱きしめるためだということだ。(渡邉満理奈)

“黒い羊”のMVはオフィシャルサイトから観ることができる
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