宮本浩次はソロデビュー曲“冬の花”で己の魂の何を解放したのか?

宮本浩次はソロデビュー曲“冬の花”で己の魂の何を解放したのか?
《泣かないで わたしの恋心/涙は“お前”にはにあわない/ゆけ ただゆけ いっそわたしがゆくよ/ああ 心が笑いたがっている》……およそ捕捉不能なほどに凄絶に渦巻きせめぎ合う感情と衝動を完膚なきまでに言語化し、その至上のメロディを圧巻の絶唱でもって今この時代に歌い放つ。宮本浩次にしか作れない楽曲、宮本にしか歌えない歌がここにはある――宮本浩次ソロプロジェクトの幕開けを飾る楽曲“冬の花”、2月12日(火)にいよいよ配信リリースである。

現在カンテレ・フジテレビ系ドラマ『後妻業』主題歌として、番組のエンディングを紅蓮の歌で彩っている“冬の花”。
2002年のアルバム『ライフ』以来のタッグ実現となる小林武史のプロデュースのもと、屋敷豪太(Dr)/名越由貴夫(G)/TOKIE(B)/小林武史(Piano・Key)といった錚々たるメンバーによるバンドアンサンブルと四家卯大ストリングスの壮麗なる響きが、聴く者の全感情を震撼させる宮本の渾身の旋律に極彩色の輝きを与えている。

何より、ソロ始動発表の際に宮本が「日本には優れた『歌謡曲』というジャンルがあると思っております。私もいつかそういう歌謡曲を作りたいと思っておりました」とコメントを寄せていた通り、“冬の花”における最大のポイントは、この楽曲が最初から「ロックか否か」というカテゴリーの外から生まれている、ということだ。

ご存知の通り、宮本浩次は1988年のバンドでのデビュー以降30年以上の間、一貫して「エレファントカシマシの宮本浩次」だった。
今でこそ“悲しみの果て”、“今宵の月のように”などに象徴される「極上のメロディメイカー=宮本浩次」としての不動の存在感を確立しているが、デビュー当初の宮本はあくまで「ロックバンドのソングライター/ボーカリスト」として、自身の「歌謡魂」を封印した形で楽曲を生み出し表現してきたし、宮本にとってエレファントカシマシの作品を作ることはすなわち、ロックと歌謡と自分自身の位置関係を精査し続けることでもあった。

そんな宮本にとって、オールタイムベスト盤/初の全都道府県ツアー/さいたまスーパーアリーナ2Daysの金字塔的公演(そのうち1日はスピッツMr.Childrenとの競演)/最新アルバム『Wake Up』……と怒濤の激走を繰り広げたデビュー30周年アニバーサリーイヤーを通して「ロックバンド=エレファントカシマシ」の爪痕を改めて時代に刻んだ「今」はまさに、自らの歌心を高純度に解き放つ必然的なタイミングだったのだろう。

2018年秋には椎名林檎と宮本浩次“獣ゆく細道”、東京スカパラダイスオーケストラとの“明日以外すべて燃やせ feat.宮本浩次”という奇跡のコラボレーションで日本中に驚きと感激を巻き起こしたが、実はその二大共演の前からソロプロジェクトは動き始めていた――という背景は、『ROCKIN’ON JAPAN』2月号の宮本インタビューで語られていた通りだ。
《わたしという名の物語は 最終章》――“冬の花”の中で歌われるこのフレーズは、常に今この瞬間を自分のフィナーレと位置付けて1曲1曲に己の全存在を燃やし尽くそうとする宮本の姿勢をどこまでも鮮烈に映し出している。

前述の『JAPAN』のインタビューでも宮本は「まだ68%です。なぜなら、私は前提としてバンドでなければならぬって思ってるから。単細胞だと思うんだけど、残り32%は、やっぱり必ずバンド」と語っていたが、ロックという枠組みをも凌駕する強靭さと熱量を備えた「ボーカリスト=宮本浩次」と、激しくも美しいメロディをドラマチックに咲き誇らせていく「作曲家=宮本浩次」との真剣勝負の醍醐味を、誰よりも宮本自身が謳歌し噛み締めていることは間違いない。
2019年、宮本の新たなキャリアの始まりに立ち会えたことを、心から嬉しく思う。(高橋智樹)
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