この記事を読んでいただいている方の多くは、すでにMrs. GREEN APPLEの最新アルバム『Attitude』を聴かれたことと思う。全17曲というボリュームもさることながら、ロックもポップもEDMもクラシックもジャズもブルースもゴスペルも踏み越えた破格の色彩感、一つひとつの楽曲に備わっている輝度と強度には、何度聴いても驚愕と感激を禁じ得ない。
そして――そんなミセスの音楽の進化はそのまま、ソングライティングとサウンドデザインを手掛けるバンドのキーパーソン=大森元貴(Vo・G)の表現者としての劇的な覚醒感を明確に伝えてくるものだ。
大森はミセスの楽曲におけるアレンジャーでもあるが、彼がデビュー当初から語ってきたその「アレンジ」のプロセスは、「各パートが演奏するフレーズを譜面に書いてメンバーに渡す」のとは大きく異なる。
彼の脳内に浮かんだ楽曲とサウンドのイメージを、各楽器のアンサンブルのみならず、音の広がりやミックスの音圧に至るまで完全にデザインされたデモに焼き込み、それをメンバー個々に「耳コピ」し再現してもらう。そこで生まれたメンバーそれぞれの誤差や解釈の違いも含めて音を編み合わせることで、Mrs. GREEN APPLEのバンドサウンドが生み出されていく――。
歌と楽曲を作り上げることでミセスの音世界を支配しているようでもあり、その楽曲を再現してくれるメンバーにある意味では表現者として生かされているようでもある大森のスタンスは同時に、圧巻のポジティビティを体現するミセスの音楽を貫いている「音楽と生命の自由」を巡る哲学を象徴するものでもある。
大森の大胆かつ変幻自在なクリエイティビティは、それ自体が「音楽はここまで自由になれる」、「僕らはここまで自由になれる」というメッセージとしての開放感とスケール感を併せ持ったものだ。
が、小学生時代から作曲を行なっていたという卓越したソングライターであり、稀代のハイトーンをほしいままに操るボーカリストでもあり、やろうと思えばひとりDTMで途方もなく緻密で壮麗な音世界を構築することだって可能なアレンジャーでもある大森が、その音の具現化を4人のメンバーに託している。それはまさに、彼の音楽的な「自由度」を、その楽曲世界に通底する「祈りとしてのポジティビティ」と重ね合わせながら、この時代に生きる者の熱量とリアリティとエモーションをもって立ち昇らせるためなのだろう。
「メンバーが集まって音楽が生まれる」のではなく「音楽が生まれ落ちるためにバンドという生命体を必要とする」という在り方は、言うまでもなく他のバンドとは一線を画すものだ。
そしてそれは、音楽を「人間同士の共感やコミュニケーション」という表層的な次元に留めることなく、生きとし生ける僕らのもっと根源的な部分に作用し突き動かし奮い立たせる訴求力と生命力へとアップデートしようとする「闘い」そのもののように見える。
《「腐ってなんかは居ない」/この世は腐ってなんかは居ない。/どうかそんな歌を歌わせてよ/ずっと/書き綴られた歌は/私のそう、遺言》(“Attitude”)
それこそ“サママ・フェスティバル!”とか“WanteD! WanteD!”といったポップの極致のような楽曲でも、ミセスの楽曲にはいつだって悲壮なまでに凜とした覚悟が宿っていた。聖歌の透度とポップミュージックの躍動感を両手に携えながら、それをバンド音楽という現実へと結実させ続けるMrs. GREEN APPLE。今回のアルバム『Attitude』は、大森元貴というアーティストの非凡な才能の核心をくっきりと浮かび上がらせている。(高橋智樹)
音楽の哲学者にしてエンターテイナー、Mrs. GREEN APPLE大森の桁違いの才能について
2019.10.19 12:00