そんな彼らが一発目に鳴らした“My Instant Song”の《When it feels as if all's lost/When it feels too hard to hold/When it feels I'm in the dark/Just sing a song/My instant song》(全て失ったと感じるときは/これ以上もちこたえられないと感じるときは/暗がりにいると感じるときは/ただ歌を歌うんだ/即興の歌さ)というフレーズを聴いたとき、彼らの音を聴いている瞬間だけは全ての感情を解き放っていいのだと思えた。「大人になんてなりたくない」と思う気持ちを抱えたまま、我々は大人になっていく。その大人になる過程で列をハミ出したら怒られるということを覚え、人と違うことをしたら怒られるのだと知る。そんな窮屈な場所で、彼らは私たちの耳に届くところで歌を歌ったのだ。
たくさんの汗と涙、ときには血なんかが思い出として何年何十年と染み付いたライブハウスの床の上に、MONOEYESは立ち続けている。新しいCD『Interstate 46 E.P.』を引っさげたツアーだってもうすぐ始まる。彼らがステージに立つライブハウスの中ほど、喜怒哀楽の全てが羽ばたく瞬間は外の世界にはないかもしれない。でも、イヤホンから流れるその音楽にだって、彼らはみんながひとりにならないように、自分たちだってみんなと同じなのだと言うように、我々への最大の肯定をギュッと込めているのは、最初の一音を聴けばわかるだろう。
誰も教えてくれなかった「逃げ場」を、MONOEYESは《逃げて 逃げて 晴れてるとこへ/逃げて 逃げて 君はきっと大丈夫/逃げて 逃げて 輝いてるとこへ》(“Run Run”/対訳)と歌って、作ってくれる。だから、我々は自分の中に閉じ込めた気持ちを放出できる場所へと向かうことができる。誰にも見えていなかった「嘘の笑顔」を、MONOEYESは《テレビ向けの笑顔なんか捨てて》(“3,2,1 Go”/対訳)と歌って、剥いでくれる。だから、我々は真っ暗なところに置いていかれたままの自分と対話することができる。このバンドが鳴らす音楽の受取人は、他の誰でもなく、ひとりぼっちの夜の色を知っている私たち。彼らが鳴らすのはいつだって、あのライブハウスの重たいドアを開けた先で生きねばならない、私たちのためのロックだ。
すべての音は意味があって鳴らされ、我々の耳に届く。すべての言葉は意味があって存在し、我々の心に届く。そう考えると、MONOEYESというバンドがいて、彼らの歌を「大事にしたい」と思えるのは、奇跡のようなことだとさえ思う。そして『Interstate 46 E.P.』に収録されている“Borderland”の最後の一節を聴いて、今日もなんとか希望を繋ぐことができそうだと、MONOEYESが存在している限り自分の生きる世界はきっと大丈夫だと、心の底から思えるのだ。(林なな)