マカロニえんぴつ“遠心”×『君は放課後インソムニア』のMMV(マンガミュージックビデオ)を観て

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音楽とリスナーの関係、マンガやアニメや映画やドラマや小説などと受け手の関係が今、大きく変わり始めている大きな理由の一つに、受け手であるみんなの些細だったり深刻だったり冴えなかったり奇跡的だったりする日常も一種の物語のように多くの人に共有される時代だというのがあると思う。
実は、私たちロッキング・オンが音楽文(http://ongakubun.com)というサイトをやっているのもそれが一つの理由だったりするのですが、それはまあ置いといて。
もちろん今までの素晴らしい音楽もマンガもどれも僕らの日常とどこかで繋がっていたのだけれど、でも今は僕らの日常を遥か超越したところで感動や衝撃をもたらす表現よりも、その音楽や物語の随所に受け手ひとりひとりの物語に繋がる小さな入り口が無数に散りばめられていて、しかもそれがそのアーティスト自身の素直な作品としてアウトプットされた表現が結果的に大きなうねりを起こす時代になっていると思う。
そしてマカロニえんぴつは間違いなく、それをロックバンドとして見事にやっているバンドである。
彼らはこの“遠心”以前からずっと《間違いだらけの毎日》を音楽で描いてきて、それは受け手ひとりひとりが持っているたくさんの特別な日常の物語と繋がる力を持っている。
言葉、メロディ、フレーズ、アレンジ、演奏の細かいところすべてに彼らの正直さ、謙虚さ、ユーモアが織り合わされていて、みんなが心のままに寄せる物語の純粋さを阻害することも、型にはめることもなく、そこに居場所を与えてくれる。
それぞれ表現の形は違うけれど、ここ数年ならばあいみょんやKing GnuやOfficial髭男dismの音楽がそういう構造を持っていて、どれも聴き手と音楽の間に広大で普遍的に繋がれる空間があっと言う間に自然に広がり、後追いするようにそれが「今」のポップ・ミュージックだと認識されるということが起きた。
このマカロニえんぴつを筆頭に、これからいくつもそんな「みんなの物語」先攻型のブレイクが起きようとしていると思う。

前置きが長くなりましたが、そんな中でマカロニえんぴつの新曲“遠心”とオジロマコトのコミック『君は放課後インソムニア』がコラボしたMMV(マンガミュージックビデオ)を観て凄く新しいと思った。
このマンガミュージックビデオというもの自体、凄く面白いプロジェクトで他にもエモいコラボがたくさん行われているのだが、今作に関しては『君は放課後インソムニア』もマカロニえんぴつと同じようにマンガの世界において、読者に対して正直に、謙虚に、ユーモアたっぷりに居場所をくれるような作品で、二者がお互いを優しく受け入れ合いながら進化するコラボになっているところが素晴らしい。
マンガは音楽と結びつくとこんなにもスピード感と色彩と匂いを放つようになる、音楽はマンガと結びつくとこんなにたくさんの記憶と想像力と涙腺のスイッチを同時に押してくれる、でもそれぞれの表現が持つ自由な余白の部分はちゃんと守られている。
それはマカロニえんぴつの音楽も、オジロマコトのマンガも「今」のポップを描く表現であり、その両者が必然的に幸福な形で出会ったからなのだと思う。
ぜひ観てください!(古河晋)
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