2014年のメジャーデビューから5年。
THE ORAL CIGARETTESはこの国のロックシーンにおいて完全に独自のポジションを築き上げた。カテゴライズ無用とばかりに自分たちの世界観とメッセージを貫き、音楽だけでなくファッションやアートの分野とも共振するその存在感は、彼らにしか生み出せなかったものだ。そんなオーラルの魅力を一言で表すなら、それは「セクシー」ということなのではないかと思う。そのセクシーさの源は何なのか。5つのポイントで考えてみたい。一応書いておくと、ここでいう「セクシー」とは単に色っぽいとかエロいとかそういう意味ではない。人間の奥底にある本能や魂を揺さぶる何かのことである。
①音
思えばシーンに登場した当初から、オーラルの奏でる音は同世代のバンドたちと較べても異質だった。あきらかにあきら(B・Cho)の粘り気のあるベースプレイ、中西雅哉(Dr)の叩き出すボディの重いビート、鈴木重伸(G)の弾く変幻自在のギターフレーズ、そして山中拓也(Vo・G)のちょっと鼻にかかった声と中音域から高音域にかけてパッと抜けていくようなボーカリゼーションとナチュラルビブラート。ロックからダンスミュージック、近年ではヒップホップやクラシックのようなニュアンスも取り込みながら、ダークさのなかに深い赤や紫のような色彩を感じさせるその音自体が、聴覚を通して官能を掻き立てる。
②言葉
山中の書く歌詞は、一聴して理解できるような安易なものではない。どの歌詞にも必ず「裏」がある。そしてその歌詞の世界には、必ず闇や死の匂いとほとばしる情熱や愛が同居している。“エイミー”、“カンタンナコト”、“不透明な雪化粧”、“BLACK MEMORY”……歌詞が印象的な曲を挙げればキリがないが、真意を巧妙に隠しつつ、不穏な言葉や攻撃的な言葉でリスナーを煙にまきつつ、不意を付くように真実を浮かび上がらせていく彼の言葉を受け取ることは、カーテンの向こう側を覗くような体験だ。インタビューなどでの発言を見ても、常に山中は「人間」のいちばん深いところに手を伸ばそうとしていることがわかる。
③音楽やリスナーと向き合う姿勢
これはファンやリスナーにかぎった話ではないが、オーラル、とくに山中が求める人間関係はどこまでも濃く深いものだ。SNS、ライブでのMC、メディアでの発言、すべてを通して彼らはファンに語りかけ、自身の内側にあるドロドロしたものも晒し、それでもついてきてほしいと訴える。オーラルがデビュー以来、ときに大胆な変化を遂げ続けてこられたのもその関係性への信頼が根底にあったからだ。山中がミュージシャンやバンドマン以外のアーティストともディープな交友を結んでいることからもわかるように、単に「曲がかっこいい」とか「イケてる」とかでは済まされない魂レベルのコミュニケーションが生み出す興奮と快感こそ、オーラルが求め、生み出し続けているものだ。
④ビジュアル
アーティスト写真やCDのアートワーク、ミュージックビデオ、それにライブでのメンバーの衣装にいたるまで、彼らのビジュアルの思想は一貫している。それはダーク、グロテスク、そしてデンジャラスだ。皿に乗せた心臓というインパクトのあるアルバム『UNOFFICIAL』のジャケット、光と闇をコンセプチュアルに描き出した“ワガママで誤魔化さないで”のMV。すべてを塗りつぶす黒と血のような赤が彼らのキーカラーだが、ちょっと危険な匂いを孕みながら自分たちの音楽の世界を具現化していくそのセンスもまた、彼らの本質だ。それと、これはちょっと違う話だが、山中の眼力。動物的な獰猛さと愛らしさが共存するその目は、いつもオーディエンスを焚きつけるように輝いている。
⑤パフォーマンス
さて、いろいろ妄想にまかせて書いてきたが、最後に彼らのライブパフォーマンスそのものが持つセクシーさについても書いておきたい。あきらの足上げパフォーマンスや中西の超高いシンバルのポジション、とかの話ではなく(それも重要だが)、ライブのコンセプト立てからステージ演出にいたるまで、オーラルに「いつもと同じ」は通用しないということだ。1本のツアー、1回のライブごとにドラマがあり、観る者に訴えかける「意味」がある。マイクを握り、お立ち台に足をかけ、フロアに身を乗り出すようにして歌う山中は、普段の落ち着いた雰囲気とは正反対の攻撃的な本性をあらわにして、その物語を生きる。デカい会場になればなるほど指数関数的に広がるスケールは、彼らが(たとえかりそめだとしても)ロックの巨大な物語を背負ってステージに立っていることの証だ。のし上がっていくロックバンドのロマンほど欲深く、セクシーなものはない。それを今まさに体現するオーラルは、やはりセクシーなバンドなのだ。(小川智宏)