ザ・ストーン・ローゼズ再結成記者会見詳報――イアン「今のような時代こそ人々を高揚させることができる」

ザ・ストーン・ローゼズ再結成記者会見詳報――イアン「今のような時代こそ人々を高揚させることができる」

ザ・ストーン・ローゼズは10月18日に開いた記者会見で再結成したことを発表した。

オリジナル・ラインナップで顔を揃えたボーカルのイアン・ブラウン、ギターのジョン・スクワイア、ベースのマニ、ドラムのレニの4人は、18日午後3時にロンドンのソーホー・ホテルで開いた記者会見で2012年6月29日と30日に地元マンチェスターのヒートン・パークで「ただいま」ライヴを開催し、そこから世界ツアーに乗り出すと発表した。

イアンは会見でこう語った。「これはライヴ・レザレクション(復活)で、みんな招待されたんだから、行った方がいいよ」。

また、バンドは現在新しい作品に取り組んでもいて、来年のライヴではこうした作品も披露していくつもりだと語った。29日30日のチケットは10月21日に発売となり、詳細はバンドが立ち上げたオフィシャル・サイトで伝えられることになるという。

会見でイアンはようやく今になって再結成を決意したのは「今のような時代こそ人々を高揚させることができるから」と説明し、今後は「車輪が外れるまで続ける」と語った。その一方でマニは今回の再結成はおっかなびっくりな「suck it and see」、つまり、「試してみ?」的なものだと説明し、レニは「一年やるだけだとしても幸福だよ」と語った。

さらに新しいアルバムに取り組む予定はあるのかという質問にイアンは「そうしたいと思うよ。でも、それ前にも言ったよね?」と答えた。イアンがバンドはスタジオでリハーサルを繰り返してきていると語るとマニがこう説明した。「俺たち4人が同じ部屋でひとつになると本当に不思議なことが起きて、それはもうこちらではどうこうできるもんじゃないんだ。あれをまた捉えることができて本当に美しいよ。ずっとこれを待ち遠しかったよ」。

さらにマニはこれまでベースを務めてきたプライマル・スクリームからは「夢を追求するため」脱退する許しをもらったとも語った。

4人はそれぞれがそれぞれの理由から今回の再結成を決意したと語っていて、イアンは現在の音楽シーンを「退屈で、ぬるくて、企業的で、誰もなにも言っていない」と批判した。

もともとローゼズの再結成が囁かれ出したのは2005年にイアンがブラックプールとグラストンベリーで行ったソロとしてのライヴにマニが参加した時からで、イアンもこの頃からライヴでローゼズの楽曲を披露するようになっていたことも一因となった。しかし、この時、マニは再結成の噂について「マンチェスター・シティFCがヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグで優勝したら」考えてもいいと実質的に(?)否定した。

さらにローゼズのファースト『ザ・ストーン・ローゼズ』が2009年にリリース20周年を迎えるとまたしても再結成説が再燃したが、これはジョンとイアンの両方から否定されることになり、ジョンに至ってはこの否定のためのアートワークまで発表し、こう述べていた。「大きな影響力を誇るマンチェスターのグループ、ザ・ストーン・ローゼスの墓標を冒瀆するつもりは一切ありません」。

それがさらにヒートアップしたのは今年4月のことで、これはマニの母親の葬儀でイアンとジョンがバンド解散後初めて顔を合わせることになり、これをきっかけに過去のことを水に流したと伝えられたからだった。

この時の再結成の噂と報道についてマニはNMEに対してその怒りをこう説明していた。「俺のプライヴェートな悼みがこういうナンセンスな報道にずかずか土足で踏み入られて乗っ取られちゃってもうむかつくよ」。一方、ジョンはがっぽり一儲けするために再結成するのだとしたらそれは「悲劇的だ」と語った。

しかし、イアンとジョンの再会後から半年のうちに4人はこれまでの確執を洗い流すことに成功したようだ。

今回の再結成報道が取り沙汰されるようになったきっかけは10月14日に大手広報代理店(もともとザ・ストーン・ローゼズの広報を担当していた代理店だった)が17日に「非常に重要な発表」をする記者会見にマス・メディアの参加者を募ったことで、代理店がこの発表を行うのがザ・ストーン・ローゼズであることを肯定も否定もしなかったことから、噂は一気に広がった。

その後の報道ではイアンの友人で、ストリート系マジシャンであるダイナモがイアンからローゼズの再結成を確認するショートメールを受け取っていたことなども伝えられ、さらにレニは次のような謎のメッセージをNMEにも伝えていた。「9Tまではローゼズとしてまたなにかをすることはない」。

今回の再結成はアルトリンチャム中等学校でイアンとジョンがザ・クラッシュに触発されたバンド、ザ・パトロールを結成してから31年目の出来事となる。バンド解散後、ふたりはそれぞれにバンド活動を経験した後、後のザ・フォールのドラマー、サイモン・ウォルステンクロフトとベースのピーター・ガーナ―とともにザ・ストーン・ローゼズを結成。数か月後にサイモンは脱退して、元スペシャルズのテリー・ホール率いるザ・カラーフィールドに加入し、その後任としてレニが加入することとなった。

1985年にバンドは最初のシングル“ソー・ヤング”/“テル・ミー”をリリースし、4年後の89年には傑作として名高いファースト『ザ・ストーン・ローゼズ』をリリースし、完全なインディながら、シングル“シー・バングス・ザ・ドラムス”ともあわせて初のイギリス・チャート40入りを果たした。

ブレイクを果たし始めた当時、バンドはテレビ番組『The Late Show』に出演したが、演奏中に電源が切れてしまうというハプニングでイアンが司会のトレーシー・マックロードらに対して「素人かよ!」と連呼したことで大きな物議をかもすことになった。

チャートでは8位に終わったが、バンドを代表するシングルともなった名トラック“フールズ・ゴールド”をリリースした後、バンドは1990年に伝説ともなったスパイク・アイランドでのライヴを開催し、2万7千人ものオーディエンスを集めることとなった。

続くセカンド・アルバム『ザ・セカンド・カミング』は1994年まで待たされることになり、内容的にファーストからの飛躍を標していたが、ファンや評論家の間ではファーストほどは迎えられなかった。ただ、シングル“ラヴ・スプレッズ”はバンドにとってのチャート最高位2位を獲得した。

その後、レニが1995年3月にバンドを脱退、その翌年にはジョンが脱退し、脱退の理由を「だんだんと付き合いも音楽の方向性も離れていった」と説明した。残されたメンバーはアジズ・イブラヒームをギターに迎え、1996年8月のレディング・フェスティヴァルに臨んだが、これが大きな不評を呼び、バンドはそのまま解散へと追い込まれ、この散々な批判を呼んだパフォーマンスがバンドにとっての辞世の句となっていた。

バンドのオフィシャル・サイトはこちらから→
http://www.thestoneroses.org/

マニが開口一番「再結成を否定するために集まりました」と語る記者会見冒頭の様子はこちらから→
http://www.nme.com/nme-video/the-stone-roses---reunion-press-conference/1224848040001



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