ジャック・ホワイトは8月10日にロサンジェルスのグラミー博物館で博物館の理事、ロバート・サンテリと対談形式の講演を行い、自分がギターを弾くようになったのはバンドを組んだ他の友達が誰もギターをやろうとしなかったからだったことを明かしている。
元々ドラムについては5歳の時から家の屋根裏部屋で叩いてきたというジャックは「わかったよ、みんなで演奏ができるように俺がギターをやるよ」というノリでギターを弾くことになったと明かしている。
また、ジャックにとって最初のライヴはボブ・ディランの1962年のファースト・アルバムの内容をカヴァーしたもので、全曲アルバムの順序で披露したのだとジャックは語ったとか。さらにサンテリにその後、ボブと知己となってみるとどういう具合なのかと訊かれると、ジャックは「ボブは自分がボブについてはよく知らないんだと思わせるのが得意なんだよ」と語っている。
また、ソロ新作『ブランダーバス』制作のきっかけとなったのはナッシュヴィルのサード・マン・レコードのレコーディング・セッション用にウータン・クランのRZA(レザ)を呼ぶつもりだったのを土壇場でキャンセルにされたことだと説明している。「ミュージシャンにもみんなスタジオで待機してもらってたから、なんかやる必要があったんだよ。そこで曲をその場で書いてみることにしたんだ」
その一方で、サード・マン・レコードの運営など昔の音楽やアナログ・テクノロジーへの愛着を露わにしている割には、レトロや再現や再解釈などといったアプローチは好きではないとも宣言している。
「ある時期やある人やある人がやったことを模倣することなんて馬鹿馬鹿しいことなんだよ。たとえば、ステージに出て『ロバート・ジョンソンがあまりにも大好きなので、ロバート・ジョンソンのように歌って演奏してみます』ってぶち上げることも可能だけど、それは誰にとってもいいことにはならないし、どっちみちできることじゃないんだよね。まずは自分にならなきゃだめなんだからさ」