マドンナ、ニューヨークに出てきたばかりの下積み時代に強姦されていたことを告白

マドンナ、ニューヨークに出てきたばかりの下積み時代に強姦されていたことを告白

マドンナはかつて地方からニューヨークへ出てきた頃に、ナイフを突きつけられて強姦に遭ったことを明らかにしている。

『ハーパーズ・バザー』誌に長文のエッセーを寄稿したマドンナは1978年にニューヨークに引っ越したのは「本物のアーティストになりたいがためだった」と振り返っているが、その後待ち受けていたものについて次のように綴っている。

「けれども、ニューヨークは、すべてがわたしの思い描いていたようなバラ色の世界ではなかった。わたしを手放しで大歓迎してくれたわけではなかった。引っ越して1年目に拳銃を突きつけられて強盗に遭った。それからナイフを背中に突きつけられて建物の屋上にまで引きずり出されて、そこで強姦されたこともあった。自分のアパートにも3度空き巣が入ったことがあった。なぜ、わたしの部屋に盗みに入るのかはわからなかった。最初の空き巣でラジオを盗られてから、金目のものなんてわたしの部屋にはなくなっていたから」

また、2006年にマドンナがマラウィの男児、デイヴィッド・バンダを養子として引き取った際にマラウィでの正規な手続きを踏まなかったためメディアの各方面からバッシングを受けたことを「クソ嵐だった」と振り返り、自身の人生の中でもどん底のひとつだったと明らかにしている。

「誘拐しているだとか、人身売買しているだとか、有名人の力を使ってズルしているとか、政府高官を買収しているとか、魔術を使っているだとか、もうありとあらゆる言い掛かりをつけられることになった。確かに法に反していることを何かしていたのだから、それはしようがなかった! これにはつくづく学ばせられることになった。わたしの人生でも最悪の時期となったほどだから。ステージでオナニーの身振りをしてみたりとか、自分のセックスについての本を出版してみたりとか、授賞式のパフォーマンスでブリトニー・スピアーズとキスをしてみせたりとか、そういうことで人々に辛く扱われることなら、わたしも我慢ができたものだけど、ある子供の命を助けようとしたことで罰のような仕打ちを受けることになろうとはさすがのわたしも夢にも思っていなかった」

さらに何かと物議を醸す自身の行動についてマドンナは次のように説明している。

「そう、わたしは挑発するのが大好き。きっとわたしの遺伝子に備わっている性癖なのだと思う。でも、そういうことを10回やったとしたら、そのうちの9回にはどれもきちんとした理由もある」

なお、マドンナはアート・フォー・フリーダム(自由のための芸術)というキャンペーンのために、写真家のスティーヴン・クラインとともに製作した『SecretProjectRevolution』という映像作品を先月公開しているが、このキャンペーンについて「わたしの作品やアート・フォー・フリーダムに提供される他の作品も人々を行動に移すきっかけとなって、みんなのそれぞれのクリエイティヴな表現を発表する場となり、社会にはびこる抑圧や不寛容、自己満足を退けるものになるように期待しています」と語っている。
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