SEKAI NO OWARIの音楽は「皮肉」である。
というと、特に最近、SEKAI NO OWARIのことを知った人は意外に思うかもしれない。
もしかしたら彼らのことを長年、好きだという人のなかにも、「皮肉」という表現には違和感を覚える人もいるかもしれない。
彼らにピュアで無防備なイメージを持っている人たちは多いと思うからである。
しかし、やはりそれはちょっと違う。
「皮肉」というと、どこか世界を鳥瞰しながら大人ぶって、シニカルである自分自身に酔っているようなイメージを持つかもしれないが、ここで言う「皮肉」はその正反対である。
現実に細部まで目をそらさずに向き合うということと、理想を妥協なく見据え続けること。
この両輪を同時に追求していくと、そこには矛盾が生まれる。
そこで、どちらかをいくばくか要領良く捨てたりすれば、少し楽になるのだろうが、SEKAI NO OWARIはどちらも決して捨てずに音楽を作り、それを守り、拡げ、進化させるための活動をしてきた。
どんな矛盾を前にしても、現実も理想も捨てないためには、その複雑な錠前を開けるような音楽による「皮肉」というパスワードが必要になる。
だからSEKAI NO OWARIの音楽は、実はいつも「皮肉」である。
ただし、それはタフな現実主義とピュアな理想主義を両立させた、極めて誠実な「皮肉」なのである。
『進撃の巨人』もまた、そんな誠実な「皮肉」が前面に出た作品である。
その実写化映画『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』の主題歌をSEKAI NO OWARIが担当すると聞いて、僕は間違いなく絶妙のコラボレーションになると確信した。
そして、前篇の主題歌“ANTI-HERO”は、このミュージック・ビデオのとおり、SEKAI NO OWARIの誠実な「皮肉」が全開の強烈な楽曲。
前篇は試写会で観たのだが、映画のなかで流れた“ANTI-HERO”は鳥肌が立つほどカッコ良かった。
後篇主題歌“SOS”は、またきっと違うバランスでのコラボレーションになるはず。
こちらも楽しみだ。(古河)