ゲッツ板谷「板谷遠足」
扶桑社 1300円+税
ちょっと前に出た本で、週刊SPA! の連載をまとめたもの。
大仏や観音様などの巨大建造物を観に行くとか、ヘンなお祭りに行くとか、
とにかくどこかに行って、そのさまをレポートする、という趣旨の本です。
この人の本、出たら必ず買うようになって長いが、今回、
ちょっと驚いたフレーズ、というか造語があった。
いや。雑誌連載持にも読んでいたし、そもそもこの人がこの造語を使うの、
今回が初めてじゃない気もするので、僕が読んで、「これってすごくないか?」
ということに改めて気づいた、といったほうが、より正確か。
前置きが長くなりましたが。
「世田谷ボロ市に行く」の回に、
口をマオマオしたり
という記述があるのです。
は?
口を「パクパク」とか「モグモグ」ならわかるけど、「マオマオ」って?
そんな言葉、ある?
言うまでもない。ありません。
しかし。ないにもかかわらず、それがどんな状態を表しているのか、
読んで一発でわかってしまった。
という事実に、「これ、すごいことじゃないか?」と、考えさせられたのでした。
擬音語とか擬態語って、大変に難しい。
というか、よく考えたら、なんだかわからない。
先に挙げた「パクパク」や「モグモグ」だって、なんであの動作を
そう形容するのか? と問われても、そこにロジカルな理由はないからだ。
「いや、だって、パクパクって感じじゃん」みたいな、
感覚的な理由しか存在しないでしょ。
「イライラ」は、なんで「イライラ」なの?
「胃がキリキリする」は、どうして「キリキリ」なの?
いずれも、「そんな感じだから」という根拠しかないわけです。
ということは、あの精神状態を形容する言葉として、「イライラ」が
採用される前には、誰かが提案したものの、「それなんか違う」と、
却下されてきた、ボツネタたちが、山のようにあるのではないか。
中には、いい線行っていたんだけど、あとから現れた「イライラ」の
あまりのジャストフィットぶりの前に破れ去った、そういう擬態語も存在したのではないか。
「イライラ」さえ現れなければ、いとうあさこが
「南、ギムギムする!」と叫ぶ、そんな現在だったかもしれなかったわけです。
そんな、曖昧でややこしくて微妙な、擬態語・擬音語の世界において、
こんなふうに、一読すれば誰もがそれとわかるような、新語を生み出してしまう。
というのが、すごいなあ、と思ったのでした。
なお、「それ、『マオマオ』って声を出して言っている時の、
口の動きそのまんまじゃん」と思ったあなた。
違うんです。
試してみれば明らかですが、たとえば「バオバオ」でも「パヨパヨ」でも、
同じ口の動きになります。
そこで「マオマオ」を選びとる、「マオマオ」でなければならない必然を瞬時に
つかみとる、そのゲッツ板谷のセンスに、私は敬服するものである、という話です。
これから自分が死ぬまでの間に、こんなふうに新しい擬態語
もしくは擬音語を、ひとつでも生み出せるだろうか。
一応、なんか書くのを仕事のひとつにしている
者として、そう考えずにはいられません。