星野源・大槻ケンヂ・磯部正文を観ました

星野源・大槻ケンヂ・磯部正文を観ました

前回の続き。
昨夜の新宿ロフトのアコースティック・イベント、
「シンジュクアクション 日本のロック〜アコースティック編〜」についてです。

トップは星野源。ひとりでギター弾き語り。
「グー」「茶碗」「くせのうた」あたりのオリジナルに加え、
「スーダラ節」のカバーや、イースタン吉野と作った「たいやき」などを披露。
つまり、最近の、いつもの感じのステージ。
いつもすばらしいし、当然、今回もすばらしかった。
この「普通にしゃべってるだけに限りなく近いのに、
実はすさまじく記名性の塊」な、声とメロディと歌詞、ほんとに強いと思います。

あと、MCで、「聴くと死にたくなる」とよく言われる、とか、
イースタン吉野に、自分の音楽を「デスロハス」と言われた、とか、
そういう話をして笑いをとっていたけど、自分も笑いながら、ちょっと思ったこと。
「聴くと死にたくなる」っていうのは、必ずしも「暗くなって死にたくなる」
ってことじゃないんじゃないかなあと。
そういう部分もあるけど、逆に、「死ぬのも悪くないじゃん」と
思わせる、というところも、あるんじゃないかと。星野くんの歌には。

「死ぬ」とか「老いる」とか「衰える」とか、逆に「幼すぎて無力」とか、
そういう状態って、必ずしも、イコールつらい、悲しい、よくない、
ってことではないんじゃないの? という。
「グー」なんかそのいい例ですよね。
おじいさんがおばあさんに看取られて死んでいく歌だけど、
これ、聴くと、幸せな歌だもん。
「看取ってもらえていいなあ」「理想的な死に方だなあ」というような。

星野くんだけで結構書いてしまった。
なので、いっぺんシメて、次回に続く。
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