2017年4月28日(金)発売の『ROCKIN’ON JAPAN』6月号に掲載です。
90年代後半からの日本のロックの歴史を大きく変えたアーティストのひとりが中村一義だった。
ファーストアルバムのリリースと同時に『ROCKIN’ON JAPAN』の表紙を飾ったのは、JAPANの30年以上の歴史の中でも、おそらく彼だけなのではないかと思う。つまり、それほどまでに大きな事件だったわけだ。
当時JAPAN編集部にいた僕も、そのショックを鮮明に憶えている、僕個人が、ではなく、『ROCKIN’ON JAPAN』という雑誌が、でもなく、ロッキング・オンという会社全体が中村一義の音楽に染まっていくような、そんな日々だった。
まだ会社が今の4分の1くらいの規模の頃ですが。
ただ、そんな彼だけに、「いつかやめてしまうんじゃないか」みたいな危うさを、常に感じさせる存在でもあった。
現に、最新オリジナルアルバム『海賊盤』の時の本誌のインタビューでは、この1枚前の『対音楽』を最後に、音楽をやめようと思っていた、という話をしていた。
そこからいかにして『海賊盤』へ向かったのか、という話はそのインタビューでもしていたが、その頃のことも、その後の歩みも含めて、改めて話していただきました。
あと、同時に発売になる、2017年2月18日江戸川区総合文化センターにて行われたライブ「エドガワQ2017~ERA最構築~」、これ、インタビューの日までに完成しなくて、私、まだ観ていないのですが、現場には行っていました。
すばらしいライブだった上に、アンコールのあとに、そのままの状態で“キャノンボール”のMV収録が行われた。お客さんに残ってもらって、トラックをかけてそれに合わせて3テイク撮影。
テイクが重なっていくたびに、それぞれのメンバーが自由きわまりない動きになっていって、大笑いでした、観ていて。
そのMVも収められるそうです。ライブDVDもぜひ。(兵庫慎司)