RIJF2014にも出演した山崎あおい、新曲『スクランブル』が中年男子(僕)にも響く 理由

ROCK IN JAPAN FES.2014にも初登場を果たしてくれた山崎あおい。
この人についてちょっと書いてみる。

この人の歌はどこか暗い。
「ポジティヴ」「前向き」の思想を人間形成の根本から叩き込まれた世代からすればもはや厭世的に映るほどだ。
「まだ若いんだから何もそこまで悲観的にならんでも」。
初めてその音楽を聴いたときは正直そう思った。
このニューシングル『スクランブル』もすごい。
これぞ夏のラブソング的な爽やかなギターアルペジオに始まり、「私が君を好きになる/君も私を好きと言う」という20歳らしいフレーズに続いて歌われるフレーズがすごい。
なにしろ、「もう君だけが、私を不幸にできる」である。
こんなパンチラインを持ったラブソングを歌う二十歳、というのはなかなかすごいのではないだろうか。

ただ、この「『終わり』をあらかじめ見込んでおく」という感覚には一定の真実があるんじゃないか、と僕は思う。
そして、その心理はむしろ、楽しくてどうしようもないくらい今が愛しい、なんてときにほど、起こるパラドキシカルな真実だったりするんじゃないか。
それこそ、恋の始まり、とかまさにそんな感じだったようなーーと今年35歳の僕は感じている。
そんな自分は、もう何度観たかわからない心の映画(1番は『ヒート』なんですが)をビール片手に観始めた瞬間に思ったりもするのだ。
「あと2時間もすればこの至福にもまたいつも通りの終わりがやってくるーーマイケル・マン(監督)、あなたはいつも私を不幸にする」なんて。

山崎あおいは、「ギター女子」の筆頭格ということになっている。
実際そうだ。
だが、その人気のわけをもうちょっと正確に言うなら、流行りや今特有の感覚を正確に描いているから素晴らしいのではなく、むしろ、いつも変わらぬ普遍の切なさを今リアルな言葉で描いているから素晴らしい、というふうになるのではないだろうか。

そして実は、「アイドル」がこんなに広がり、いまや国民の物語になった背景にもその「終わりの切なさ」はあるんじゃないか、とも思う。が、それはまた別の話だ。

いずれにせよ、山崎あおいの「暗さ」は「切なさ」の今的解釈なのだということが書ければそれでよかったのです。はい。

ぜひ聴いてみてください。
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