サザンがいてよかったとしか言えない東京ドーム最終日について書く

サザンがいてよかったとしか言えない東京ドーム最終日について書く
目の前で起こっている超絶なエンターテインメントのパーフェクトさに完全に時間を見失う。
のべ3時間半。
あまりに素晴らしくて笑いがこみ上げてきて止まらない、そんな時間。

しかし、それにしても。

エロスと哀愁が表裏にあり、性欲と恋は切っても離せず、セックスと生命とはつまり同じであり、歌の種にシモもカミもなく、そのすべてが等しく大衆のものなのだ、という絶対の真理。
その真理をこれほどまでに厳しくて優しい、愛らしくてシリアスなポップミュージックにしてくれる人はこれから先、この日本に生まれて来るのだろうか。
そんな思いでいっぱいで、そしてただただ、サザンオールスターズを観ることができることに感謝しながら時間を過ごした、今振り返ってみればそんな感じ。

みんな知っている通り、今サザンは希望を歌っている。
希望の苗としてのメッセージを伝えようとしている。
それは本当に感動的な、デビューから37年の時間を重ねてピュアに還り、そして言葉通りの意味がそのまま飛び込んでくる力強さにたどり着いた、最強のメッセージである。
しかし大事なのは、その有難いものともとらえられるメッセージは結局のところ、大衆性に支えられているということだ。
というよりも、今桑田佳祐が大衆性を歌うこと、それが今は「希望」を歌うことになっている、と言ったほうが近いのではないか。
大衆性を象徴するものに上も下もなく、エロも希望も等しく大衆的なものなのだ。

その意味で、サザンの表現は今がもっとも最先端で、そしてもっとも大衆的である。
つまりサザンオールスターズは今がもっともサザンなのである。
禅問答のような原稿で申し訳ないが、上記をもっともシンプルに言い換えるなら、「サザンはポップである」ということになる。

本当に、なんて素晴らしいバンドなんだろう。
なんて素晴らしい時間だったのだろう。
本当はそれしか言えない。
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