このアリーナをめがけて、シーンの階段を駆け上がり、このアリーナに最高に映える曲を用意し、このアリーナにふさわしい自分たちであるよう、4人のアンサンブルも鍛え上げてきた。
そんな確かな思いが伝わる、とても誠実なライブだった。
この規模のワンマンライブになってあらためて感じるが、とびきり楽しく踊らせることもさることながら、「憂い」と「切なさ」の共有こそがフレデリックの最大の武器だろう。
「ひたすら楽しい」よりも、「今が楽しい、だから時間が進むことが切ない」という感覚にこそ、強烈な思い出が宿ることを、彼らはよく知っているのだと思う。
笑顔の奥に何があるか、気持ち良さの先に何があるかーーということが、その笑顔や気持ち良さに極上の余韻を作り出してくれる。
フレデリックのビートはだからこそ、楽しくて、どこか切ない。
光の演出、映像演出には煌びやかな、まさに桃源郷も呼ぶべき中毒性があったが、それ以上に、今書いたようなフレデリックの世界観、価値観にこそ、本当の中毒性があるのだと思う。
この手応えを追求していけばいいのだという確信を、今夜彼らはつかむことができたのではないか。
2時間のライブで、またひとつたくましくなった彼らの姿を見ることができた。
神戸の海沿いの夜景を見ながら車に乗っていると、フレデリックの音楽が生まれてきた背景がよくわかる。
神戸で今の彼らを観ることができてよかった。
フレデリックのKOKYO NO TOGENKYO、神戸ワールド記念ホール公演を観た。憂いと切なさのビートが最高の夜を作ってくれた
2018.04.30 21:03