レディオヘッドのトム・ヨークが『OKコンピューター』時の自分を振り返る超貴重+新インタビューをローリング・ストーン誌が巻頭掲載。

最新のローリング・ストーン誌の表紙がレディオヘッドのトム・ヨークだ。バンドが『OKコンピューター』の制作について振り返る超貴重な新インタビューを掲載している。必読!

ローリング・ストーン誌はウェブサイトで、『OKコンピューター』ができるまでを4分ほどの短い映像にまとめている。実は、その中になんとロッキング・オン誌の表紙も出て来る。こちら。
http://www.rollingstone.com/music/features/exclusive-thom-yorke-and-radiohead-on-ok-computer-w484570

内容は、『OKコンピューター』が発売されて、世界中のメディアが絶賛したという下り。3分20秒くらいのところ。しかしロッキング・オンの表紙には『KID A』と書いてあって、明らかに『OKコンピューター』時のものではない。おしい。

このインタビューは、現在LAに仮住まいしているトム・ヨークにインタビューするところから始まっている。トムは当時の自分に「もうちょっと明るくなれ」と言ってやりたい、と言って大爆笑しているが、内容的には、『ザ・ベンズ』の成功から、最新のツアーがいかに彼が長年のパートーナーの死と向き合う助けになったのかまで語られた深い内容だ。

非常に長い貴重なインタビューなのだが、簡単に要約。

1)『OKNOTOK』の制作について。
トム「当時を振り返るのは精神的にものすごくキツかった。当時の自分の頭の中は、本当に気が狂っていたから」。トムのノートには、飛行機、ヘリコプター、車、エスカレーターなど、交通、移動手段の絵がたくさん描かれていたそう。トムが当時書きためていたノートやデモテープなどが、デラックス盤には収録される。

2)『OKコンピューター』制作時について。
バンドは、『ベンズ』で大ヒットした後、ストーン・ローゼズなど当時のUKバンドはやりたがらなかった、アメリカで売れるためのツアーを敢えてやることにしたそう。1995年だけで177公演も決行。結果、1992年から4年間ツアーバスの中での生活となり、それが『OKコンピューター』に多大なる影響を与えたということ。1993年からアルバム発売後のツアーまでいれると1998年まで、休みは1ヶ月しかなかったそうだ。

トム「(4年間のバス生活で)閉所恐怖症のようになっていてリアリティが何か分からなくなっていた。さらにあの当時、情報の氾濫を感じていた。今のほうが最悪だから、それは皮肉なことでもあるんだけど」また、「自分を鏡で見て、“お前は最悪だ””お前のやることは全部最悪だ。だからやめろ”と聞こえてきた。だから一瞬自分を見失っていた」

「あの当時感じていたパラノイアは、人々がどのようにかかわり合うのか、に関係していた。だけど、それを敢えて技術用語で表現してみたんだ。自分が常に移動していたから、そんな中でいかに人とつながりを持てばいいのかについて描いたつもりだった。が、それが、結果的には、孤独や断絶を浮き彫りにすることになった」

3)家族の交通事故
トム「家族が酷い交通事故に合いそうになったため、父からいつもその話しを聞かされていた。父は、ある時自分ではコントロールできないようなことが起きる、と伝えたかったのだと思うが、それがパラノイアに繋がった」
4)ツアーバスで”OK コンピューター”を聞く。
全米にツアー中に、バスの中で、”A Hitchhiker's Guide to the Galaxy”のテープを聞き、その中でキャラクターが「OK、コンピューター。これからは全部マニュアルのコントロールにしたい」と語るシーンがあり、そこからタイトルを取った。

5)レコーディングしたお屋敷がお化け屋敷だった
ジョニー・グリーンウッド「(子供部屋に寝た)壊れた不気味な人形と木馬に囲まれていた。みんな変な声を聞いていた」
トム「眠っている間にお化けに話しかけられた。ある晩変な声が聞こえた後、朝起きて髪を切ることにしたんだ。そしたら自分で自分で切っちゃったりして、上手くいかなかった。下に降りていったらみんなに、『大丈夫?』と言われて、『何かおかしい?』と言ったんだんだけど、フィルが僕の髪を全部剃ってくれたんだ」

さらにこのインタビューでは“Karma Police”の重要性なども語られている。

6)『ア・ムーン・シェイプト・プール』について。
『ア・ムーン・シェイプト・プール』の制作時はバンドが非常に壊れやすい状態だったとエド・オブライエンが語っている。
「アルバムが発売された時に、それについて語れる状態になかったんだ」。だからインタビューは受けなかったそうだ。制作時も「非常に壊れ安い状態で、どうにかして地に足をつける必要があった」。しかしエドは、「もうこの話しはこれ以上したくない」と続けている。精神的にはまだその渦中にいるのだろう。

恐らくトムの長年のパートナーだったレイチェル・オーウェンが去年の12月にガンで亡くなったことについて語っているのだろうとローリング・ストーンは予想している。ふたりはその前の年に別れてはいたけど、アルバム全曲からトムの悲しみが伝わってくるからと。またレイチェルが病気だったことは、彼の本当に近い人達しか知らなかったそうだ。

トム「あの時は本当に辛いことが色々と起きていて、人間としてみんなとても大変な時期だった。だからアルバムが完成したのは奇跡としか言いようがない」

しかし、このアルバムのツアーをトムは楽めたそうだ。「すごく楽しめたんだ。まるで解放されたような感じだった。そんなこと僕が言うなんて珍しいんだけど」

最後にトムは、1997年以来初めて、バンドとしてライブレコーディングで、アルバムを作ることもあり得ると語っている。「僕はずっと絶対に、ドラム/ギター/ベースバンド、にはなりたくないと、抵抗してきた。でも、みんながそれを本当にやりたいなら、僕はもう年だし、金槌を掲げて『僕らはこうやらなくちゃダメなんだ!こうじゃなくちゃダメなんだ!』なんてみんなの前に立ちはだかるつもりはないよ。みんなに自由を感じてもらいたいから。だけど、それは簡単じゃないんだけどね」と笑ったそうだ。
中村明美の「ニューヨーク通信」の最新記事