本日店着、きのこ帝国『フェイクワールドワンダーランド』を聴きながら「東京」 を思う


「東京」って、どんな街だろう。
きのこ帝国のアルバム『フェイクワールドワンダーランド』を聴きながら、そんなことを考えている。より正確にいえば「2014年のいま、ロックが歌う東京の姿とはどんなものだろう」ということだ。

日々あなたの帰りを待つ
ただそれだけでいいと思えた
窓から光が差し込む
あなたに出逢えた
この街の名は、東京

という”東京”の一節が僕はとても好きで、すごく「東京」だなあと思う。今目の前に見えている「東京」はこういう街だよなあと思う。

じつは同じようなことを、僕は赤い公園の”NOW ON AIR”を聴いたときにも感じた。

レディオ
いなくならないでね
今夜も東京の街のど真ん中
ひとりぼっちで
NOW ON AIR

多くの人が東京を目指すのは、そこに文化的・経済的な優位があるからだ。簡単にいえば「何でもある」都会だからだ。「何でもある」からには、夢や希望や可能性もある。だから東京は特別なわけだが、きのこ帝国や赤い公園はさらっと「ここには何もないよ」と言い、その「何もない」ことをポジティヴにとらえてみせる。「何もない」けど「あなた」がいる。「何もない」けど「レディオ」がある――その、ある意味ドライだしリアリスティックだけれど、でもちゃんと地に足が着いた感じが、僕にはとてもしっくりくる。

「東京」を歌ったロックに名曲が多い、などと今さら指摘してみてもしょうがないが、実際、ロックはこれまでも何度も「東京」を歌ってきた。それは、そこに巨大な物語と、人々の思いが渦巻いていたからだ。サクセスストーリーにせよ敗者の美学にせよ、夢にしろ悪夢にしろ、東京はすべてを内包し、すべてを映し出していた。ロックが生き様であるとして、その生き様をぶつける対象として、とても大きく、優れたものだったのだと思う。

グッドモーニングアメリカ“inトーキョーシティ”
パスピエ“トーキョーシティアンダーグラウンド”
シナリオアート“トウキョウメランコリー”
avengers in sci-fi “Tokyo Techtonix”

探せばまだあるかもしれないが、ここ数ヶ月で「東京」をモチーフにした曲をいくつも聴いた。そして重要なのは、そのほとんどが「東京」に何も託していないことだ。詳しく書くと長くなるが、これらの曲が歌っているのは「東京」という巨大な物語の終焉だ。いまや東京には「何もない」。そのかわり、個人的で、現実的で、でもそのぶん愛おしい「ローカル」としての東京が生まれている。その新しいイメージの始まりを、これらの曲は物語っているように僕には思える。

そういえば、これは10月30日発売のJAPANで山口一郎が語っているのだが、サカナクションの次のアルバムはたぶん「東京」をテーマにしたものになるという。そのアルバムはおそらく、いま僕が感じているこのぼんやりとした考えにはっきりと輪郭を与えてくれるはずだ。

と書いていたらアルバムが終わった。もう一度”東京”から聴き始めようと思う。