SHISHAMOの野音ワンマンを観ながら感じていたこと

SHISHAMOの野音ワンマンを観ながら感じていたこと
朝は雨が降っていたけど、無事にやみ、ライヴの真ん中あたりですごくきれいな夕焼けが広がって、そのうちすっかり日が暮れて。暑くもなく、肌寒くもなく。SHISHAMO初の日比谷野音ワンマンは、天気の神様にも思いっきり祝福されていた。そして、野音で移ろう空の色の中、季節を感じながら観るSHISHAMOのライヴは、どうしようもなく切なくて、美しい時間だった。

宮崎朝子の歌は今日も本当にやばかった。彼女の歌はものすごくポップだし、上手いし、かわいらしいのだが、同時にものすごくデコボコギザギザしている。何かが過剰で、何かががっつり足りない。だからその声は特別になる。そのデコボコとギザギザが、空気を伝わって、聴いている人間の心のデコボコとギザギザにぱちっとハマるのだ。共感というよりもっとどうしようもなく、ハマってしまうという感じがする。それはその場に何万人いようと、いつだって一対一の関係だ。空の下のワンマンには、そんなSHISHAMOと僕たちの関係がはっきり出ていた。

野音だから開放的な空気になるんだろうなと思っていて、ある意味それはそうだったんだけど、むしろライヴハウスで観る以上に個人的な体験だと僕は感じた。指定席だったからかなあ。宮崎もMCでステージに出てきた瞬間緊張したと言っていたけど、それは観ている側もそうだったと思う。だからこそ、最初から最後まで感動的なライヴになった。

彼女のブレスの音に、僕はいつも何かギリギリの感情を感じる。アンコールで「あの、みんな、SHISHAMO好きですよね?」と宮崎は言った。そんなこと言わなくてもいいようなものだけど、確認したくなっちゃったんだろうな。
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