映画『3月のライオン』前編を観た。漢の「闘い」に思わず涙がこぼれた

映画『3月のライオン』前編を観た。漢の「闘い」に思わず涙がこぼれた - (C)2017 映画「3月のライオン」製作委員会(C)2017 映画「3月のライオン」製作委員会

17歳のプロ棋士少年・桐山零と彼をとりまく人々の生活と成長を描く羽海野チカの大人気コミック『3月のライオン』。その実写映画版の前編が本日2017年3月18日(土)より公開された。

「闘いの前編」と銘打たれた本作は、家も家族も居場所もなかった零(神木隆之介)が一つひとつの対局や人との関わり合いを通じて成長していく姿に焦点を当てている。中でも、見せ場である対局シーンは圧巻。原作とは異なりモノローグ(心の声)を必要最低限まで削り、役者の表情・呼吸・視線をひたすら見せる方法が採用されているのだが、撮影時に大友啓史監督が「対局シーンは殺陣と同じ」と指導したというだけあって、緊張感が凄まじい。まさに漢の闘いだ。

闘いを積み重ね、零が知ることになるのは、どちらにせよ結局自分は孤独なのだということ。勝利を重ねて頂を登っていけばやがて景色は閑散としてくるし、ひとたび敗北すれば己の未熟さに対する恥が膨れ上がり、それと向き合わざるをえなくなる。そんな嵐の最中にいてもなお、世界を広く見渡し、視野を広げ続けることができるか。そうして「独りなのは自分だけじゃない」と気づくことができるか。零は将棋を通して目の前の相手にそれを気づかされながら、あるいは自分からそれに気づくようになりながら、棋士として、そして人としての成長を重ねていく。

「闘う、愛したい、生きる。」というキャッチコピーが象徴するように、映画『3月のライオン』はヒューマンドラマでもあるし、お仕事ドラマ、バトルものとしても受け取ることができる。つまりこの物語で描かれている「闘い」は何か打ち込むものを持つすべての人に通じうるテーマであり、スクリーンの向こう側で役者陣が気迫を見せるほど、こちら側で現実を生きる私たちも静かに救われていくのだ(実際私は島田八段と後藤九段の対局シーンで泣きました。試写会なのに)。だからこそ、まずはぜひこの映画と出会ってみてほしい。カッコ悪くても泥まみれでも情けなくても、それでも独りなのはあなただけじゃないと、気づいてほしいから。(蜂須賀ちなみ)
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